どなたか「ソーシャル・ネットワーク」という映画を観た人いますか?
そうあのフェイスブックを作ったマーク・ザッカーバーグの初期の経過です。
もちろん、フェイスブックを作った経過やSNS(ソーシャルネットワークサービス)の新しい概念となったなど、
様々な見方があります。
私が観た感想は、
裁判という違うステージで、子どもの喧嘩をやっているだけ、というかんじでした。
それは、
友達としての思いや妬みや憧れや、異性へ良く想われたい、自分を価値のある人間だと思わせたい、
などなど、現実の人間関係が、フェイスブックを開発したその経過や、開発に携わった周囲との経過の中に集約されていたように思います。
そしてその現物のフェイスブック自体も、
現実の人間関係をただそのままネット上に持ち込んだシステムと言われています。
現在のリビアの反政府運動も、
このフェイスブックやツイッターで、民衆が動いているとも言われています。
このIT上のシステム。
結局、人と人とがつながりたい、
そんな欲求を元にしているからこそ、
こんなにも拡大浸透しつつあるのでしょう。
私はアナログ人間なので、
(たまにはブログもツイッターもフェイスブックもいいかなとも思いますが)
人と人とが顔を合わせて、言葉的・非言語的なコミュニュケーションを感じたい。
相手がどんな言葉をどんなふうに語るのか。
そこにどんな気持ちがあるのか。
相手からもらえるものは何があるのか。
自分はどんな言葉を選び相手に贈り、
どんな気持ちを見せるのか。
人とつながっていたい、
同じ思いを共有したい、
悲しみも苦しさも、
理解は互いに完璧にできないからこそ、
傷つけるかもしれないし、傷つけられるかもしれない。
でも、
でも、
それでも、
それでも分かち合ってみたい。
そう思うのは人間としての原始的な当たり前の欲求なのかもしれません。
(ピンク)