先日、息子の七回忌でした。
6年たちました。
毎年、命日近くなると心がざわざわします。ただただ、息子を思って、静かに
悼みたいのに、色々な負の感情が渦巻いてしまいます。
息子のことを知っている方でも息子のことを思い出してくださる方は
ほんのわずかになってしまいました。
当日会っても全く覚えていない、気づかない方がほとんどになってしまった中、
毎年毎年、暑い盛りに律儀にお参りに来て下さる方、お供えを送って下さる方、
メールをくださる方々に支えられて、何とか命日近辺の数日をやり過ごしてきました。
そんな中、息子を出産した時に、病院につきそって来てくれて、5歳の娘と一緒に
生まれたての息子に会ってくれた友人が、お参りに来てくれました。
(予定日よりもずいぶん早く陣痛が来てしまい緊急入院、緊急帝王切開だったため、
主人も祖母らも間に合わず、娘と友人らに見守られての出産でした)
毎年毎年、日を重ねていくことで、息子のことが遠くなっていく、後退していくような
気持ちになっていたのが、今年は、「誕生」という場に居合わせた友人のおかげで、
ちょっとだけ息子がいた時に戻ったように感じました。
息子を亡くした当初は、毎日早く死にたくて死にたくて、死ねないから生きているだけ
の日々。1日1日が苦しみ、悲しみ、後悔、怒り、恨み様々な感情に押しつぶされ、
心が冷たく重く凍っていました。
何とか1ヵ月たつと、あとこれを何十回繰り返せばあの子と会える、
1年過ごせば、あと20回くらい繰り返せば会える、などと考えてばかり。
6年たったからといって、乗り越えたわけでも、立ち直ったわけでもないけれど、
これをあと何回、とは数えなくなりました。
「死」は特別なものでも、怖いものでもなくなりました。
Death is nothing at all
さよならのあとで 詩 ヘンリー・スコット・ホランド (夏葉社)
この詩に出会いました。
この詩については、会報にも書きましたが、
亡くなった大切な人からのメッセージという形になっています。
最初に日本語訳の「さよならのあとで」を見つけました。
涙涙涙・・・ あの子がそこにいるかもしれない、そんな気持ちにさせてくれました。
この日本語版には 余白がたくさんあります。 何もないまっしろなページも
たくさんあります。
娘の学校の院長先生の言葉を思い出しました。日本人には「空白」の文化がある。
何もない、ところは、何もないのではない。 と
この本の空白も、単なる空白ではない
英語版をロンドンのセントポール大聖堂で友人に入手して貰い、送ってもらいました。
ネットで自分で取り寄せもできたはずですが、あえて友人に頼んでしまいました。
その友人は一時帰国のときに、お菓子のおみやげを2つくれました。娘と息子に。
息子を思い出してくれる人に
あの子の名前を共に呼んでくれる人に
ありがとう
空色