一巡して再びピンクレンジャーです。
前回のプレイリードッグのお話に、ぐぐっときてしまいました。
なぜなら私にとってもちょっとタイムリーな話だったのです。
そのお話を受け継いで、私も思い出したことがひとつ。
わが家では念願だった子犬をこの春から飼い始めました。
こどものいない私達夫婦には本当に子育てのようで、生活の癒しであり励みであり、無我夢中で育て、
ペットであっても本当にこうやって家族になるんだなって体感していました。
実は先週、その仔を避妊手術へ連れて行ったのです。
その仔を動物病院へ送り届け、
我が家に帰ってくると、
いつもいるはずのその仔の居場所が空っぽ。(入院したんだから当たり前)
いるはずの姿がないことに一瞬、私は錯覚して気が狂ったように悲しくなり泣き崩れました。
別に死んだわけではないのに。
今も生きているのに。
ただ2,3日離れてるだけなのに。
私は、父親が死んだときに、いつもの家の中の風景から、
ある日突然あるべき姿が忽然と無くなったことがフラッシュバックしたのです。
歯ブラシも使ったタオルもそのまま。ヘアートニックの匂いも残ったまま。
本当に忽然と、その唐突さが残酷でした。
「ああ、
こうやって大切なものが跡形も残さずいなくなるんだ。
こうやって大切なものを失っていくんだ。」
トラウマのように一瞬にしてあの夢がよみがえりました。
何度も何度も子どものころからみてきた夢。
朝起きたら、いつもの家の中で誰もいなくなり一人残される夢。
ひとしきり泣いた後、
同時に以前、男友達から言われた潔い言葉を思い出しました。
その時は私が飼っていたインコが死んでしまって、
またもや気が狂ったように過去の父親の死とダブらせていたときに、
こう言ってくれたのです。
「大切なものを失う悲しみが大きいのは当たり前のこと。
一方で大切なものを得て、よろこびや楽しさがそこにあるのだから、
いろんな思いをするのは人間らしいだろ。
何も得ないで、何も感じないで、
悲しみを避けていることより、より人間らしいだろ。
だったら俺はそっち(いろんな思いをする方)を選ぶよ。」
すごく衝撃的でした。
哲学的なかんじもしたし、
人間らしいなんて、それまでどんな大人も同世代の友人も言ってくれる人はいなかったのです。
当時20歳そこそこの友人から言われたこの言葉は、
死別の悲しみにどっぷり浸って何かを失うことに臆病になっていた私の背中を押してくれました。
この言葉をすぐに思い出し、
うちの仔犬や周りの家族や大切な人たちと出会たこと、その全てに感謝しました。
退院して戻ってきたわが家の仔犬も元気です。(元気すぎるくらい!)
いつかその仔や、私の周りの家族や友人と別れなければいけない時がくるでしょう。
でも、
臆病にならずに、すべてのことを受け容れていきたい、
そう改めて思い直した出来事でした。