2011年

11月

26日

開かずの手帳

あの記録的な暑さから一転、東京はすっかり秋めいてきました。

皆さん、風邪などひかれていませんか。


私は北国育ちなので
涼しくなってきた東京が大好き!

空気が澄んだ高い水色の空や
色が変わって落ちていく葉っぱ、
だんだんと冷たくなっていく乾いた風に一人わくわくしています。


来年2012年の手帳も買いました。
早速、現段階で決まっているわずかながらの予定と
大切な記念日などを書き込みました。


自分の手帳を買い替える度に、
私は亡くなった母の手帳を思い出します。

それまで持ち歩く習慣などなかった母が
「通院の管理に使いたいから」と、
手帳を買い求めたのは晩年のこと。

二人で駅前のデパートへ行き、
赤いカバーの手帳を一緒に選びました。


けれどそれから9ヶ月後、
手帳を使い終えることのないまま、母は亡くなります。

 

お葬式が終わり、母の使っていた物を整理している中で
あの赤い手帳が目に止まりました。


好奇心もあり、いけないと思いながらもパラパラと読んでみると…
アドレス帳には、私たち家族の緊急連絡先と
病院で知り合った闘病仲間の連絡先だけが、選び取ったように綴られていました。


1月から始まるカレンダーには、通院の予定と記録。
抗がん剤をどれだけ打ったか、腫瘍マーカの検査値と、それに対する一喜一憂が
達筆だった母の字で書いてありました。


通院記録にまじって
私たち家族のこともぽつりぽつりと記されています。


母が迎えた最期のお正月には
私と弟が大喧嘩をしたことが書かれ
その下には「お腹痛くなる」とありました。


母のがんは、直腸が最初でした。
以来、何か辛いことがあるとお腹が痛くなっていたのです。

そのことをよく知っていながら、
当時の私は、母の目の前で弟に怒りをぶつけたのでした。


離れて暮らしていた父が帰宅した日には
「泣きそうになるが、こらえる」の文字。


意識レベルがゼロになる8月まで、ぽつぽつと書かれたそれらの記録は
次第に筆圧が弱く、たどたどしくなり
習字の有段者だった母の文字とは思えぬほどに変形していきました。


お葬式が終わってすぐ手にして以来
私は一度もその手帳を開いたことはありません。

開くことのできないまま、お仏壇の引き出しにしまってあります。


開くときっと心が揺れてしまうから、
今後もしばらくは開かずのままでしょう。


たくさんの人に遠慮して、何も言えなくなってしまった母の、唯一の本音が綴られた手帳。


たとえ開かなくとも、一文字一句脳裏に焼き付き、忘れることのできないままです。


(オレンジ)