文字が目に入るだけでめまいがして、吐き気が止まらないのです。
無理矢理読んでも内容など一切掴めず、右から左へ流れていくだけでした。
当時の仕事は特に、活字に触れる機会が多かったのです。
めまいと吐き気をぎゅっと堪え、勤務中は必死に活字を追います。
一度では到底理解などできず
休みやすみ深呼吸しながら、何度も繰り返し読みました。
望んで就いたはずの職業なのに、まるで地獄のようでした。
その働きぶりは、今思い返しても本当に情けないものでした。
フラフラになりながらも、とにかく目の前の仕事にガムシャラでした。
勤務中はひどく具合が悪かったけれど
余裕がない分、死別の苦しみからは逃れられます。
仕事だけが生き甲斐かのように、まるで縋るように、必死になって職場へと通い続けました。
毎日続けていた読書記録も途絶えてしまいました。
一日一冊本を読んで、簡単な記録をつける。
日記代わりのそれは習慣化し、高校生の頃から11年以上も続いていたのに
大切な人との死別以来、「本を読みたい」などという感情はすっかり消え失せたようです。
以前なら飛び付いていたはずの大好きな作家の新刊も
写真たっぷりのファッション雑誌も、続きを心待ちにしていた連載漫画でさえも
体中が拒否反応を示します。
大切な人と死に別れて二度と逢えないことは哀しく、本当にほんとうに胸が引き裂かれるほどでした。
自責に苦しみ、頭を抱えてのたうち回る毎日でした。
ですがその感情とは別の次元で
私の日常を蝕む様々な身体症状がありました。
「活字が読めない」だけではありません。
朝起きられずとにかく疲れやすく、めまいと吐き気が頻発します。
自分が自分じゃないみたいで、悔しかったし辛かったです。
ぼんやりと諦めかけたのは、死別から一年が経つ頃。
ちょうど引っ越しが迫っていて
「本棚にある本を全部処分してしまおうか…」と自棄になっていました。
埃をかぶった本の中から、ふと谷川俊太郎さんの詩集が視界に入り
ゆっくり、ゆっくり、深呼吸しながら読みました。
「後悔」と題された詩で、声を上げて泣きました。
現実を受け入れられずにいる愚かな自分に、唯一寄り添ってくれているようでした。
活字に救われたのだ、そう思いました。
小さい頃から引っこみ思案で本が友だちだった私は
拙過ぎて言葉にできない感情を、思い返せばいつも本に代弁してもらっていたのでした。
それ以来、「本を読みたい」という欲求が再び芽生えました。
読書記録を再会するまでにそう時間は掛かりませんでした。
大切な人のいない生活に違和感を覚えながらも
現在、読書記録を始めて18年目。
誰に見せるわけでもない、ただの自己満足に過ぎないのですが
一年近く空白ができた期間もあるけれど
わくわくしながら本を読める喜びを噛みしめて
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*第1土曜日の集まりは、大切な人を自死により亡くされた方の集まりです。
◆9月14日(金) 14時~17時
*第2金曜日の集まりは、主にお子さんを亡くされた方の集まりです。
◆9月15日(土) 17時~19時30分
*第3土曜日の集まりは、大切な人を亡くされた若い世代(主に20代30代)の方の集まりです。
◆会場/NPO法人生と死を考える会 事務局(東京都新宿区) JR信濃町徒歩1分
◆参加費/一般1,000円 会員500円
※会場などの詳細は、HPをご覧ください。
http://www.seitosi.org/
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