惑い

大切な人と死別して、もうずいぶんと時間が経ちます。

話の流れで尋ねられた場合、死別の事実を話しますが
自分からそれを口にすることはありません。
死別後に知り合った方々のほとんどは
私が大切な人を喪ったことなど知らないのです。

 


先日、ある知人から
「家族が病気で、もう治らない。近いうちに亡くなるかもしれない」
と言われました。

私の大切な人も同じ病気で亡くなっています。

激しく動揺した後
何て返事を返せば良いものか、とてもとても迷いました。

 

自分の経験を口にするだけなら簡単です。
けれど今の彼女に、果たして私の自分語りを聞かせて良いものか
逡巡したのです。

優しい彼女のこと、
すでに死に別れた私を慰めようとするかもしれません。
あるいは、生き永らえる望みを持っていた彼女やそのご家族に
同じ病気で亡くなった事例の一つとして、
私の話は追い討ちを掛けるかもしれません。


「わかるよ」などと軽々しく口にすることだけはできない。
そう思いました。



その日はとてもバタバタしていて
彼女がふと口にしたのも、移動中のエレベーター内でした。

私に「相談した」というよりは
「現在の自分の状況を知らせた」だけなのかもしれません。


「……そうですか。あの…私も似たような経験をしているので……何かあれば、ご連絡くださいね…」。


2人きりの空間で、私が言えたのはたったそれだけ。
直後にエレベーターが到着し、そこで話は途切れました。


「似たような経験」について、彼女に尋ねられることもなかったですし
私から彼女にそれ以上伺うことはしませんでした。

その後は複数人でわいわいと楽しい話一辺倒になってしまい、
笑顔で手を振ってお別れ。

 



でも、ずっとずっと引っ掛かっているのです。

あの時、どうすれば良かったのだろう。
何て言えば良かったのだろう。



非常に情緒不安定だった、終末期の自分を思い出します。
「私の方がもっと大変だった、もっと辛かったんだから」と泣きながら話し出した親族を

千切れるような想いで慰めた自分。

 

 

笑顔で手を振ったまま、やり過ごして良いものか。

今も迷い続けています。

 

 

 

(オレンジ)