エンディングストーリー

エンディングドレス

高齢化社会、お一人様が増えたせいでしょうか?
終活(しゅうかつ)や、エンディングストーリーなどという言葉が、ネットで表に出てくるようになりました。

 

これは、「自分の最期のときをどうするか」を考えておくという活動らしいのです。

 

最近ネットサーフィンをしていて見かけたものに、エンディングドレスというものがありました。いわゆるオリジナルの死装束(ドレス)なのですが、これはウェディングドレス?と思うようなシンプルで素敵なドレスなのです。

エンディングドレスをオーダーする人の中には、「これを着る日が来るのが楽しみだわ」と、ドレスの素敵さに思わず言ってしまう方もいらっしゃるようです。


死装束と言えば、三途の川を渡る旅支度。
時代劇に出て来る巡礼者や、修行僧のような着物姿に、足袋、わらじ、三角形の布を頭につけるのが基本です。
今まで当たり前のように、誰もがお仕着せの姿で旅立ちのときを迎えていたというのは、考えてみれば不思議なことかもしれません。

「最期のときにもわたしらしさ」を求める時代。
死を語るということは、今なおタブーとされがちで、親しい友人の間ですら語られることはありません。
「死」は何となく、見てはならないもの。話してはならないもの。
そこに在るのに、まったくないように、やり過ごさねばならない空気に満ちているのです。

もちろん誰もが最期のときを考えたくはない…けれど、誰にでも平等にやってきます。
自分がどのように最期を迎えたいのかを、着るもの、流す音楽、装花など、外側のことだけじゃなく、こころの準備までオープンに語り合える場はあまりありません。

 

「自分の最期のときを考える」ことが単なるトレンド(流行)になってしまわないよう、この流れを見守りたいと思います。

私が一番素敵だなと感じたお別れの挨拶は、ある女優さんが亡くなったときのエピソード。
彼女が亡くなってからしばらくして、知人に手紙が届きました。
そこには「引っ越しました」という転居のご案内。「お近くにお越しの際はぜひ遊びにきてください。」というメッセージと共に、自分が永久に眠る墓地の住所が書いてあったそうです。

 

自身の死を受け入れるということは、とても辛く悲しいことで、そう簡単にできることではありません。私自信、出来るかどうか、正直まったく自信はありません。


そんな葛藤のただ中にありながら、周りの方にユーモアと愛をもってお別れを言える。
残された方の悲しみを、ほんの少しでも薄めることができたなら、そんな心の余裕を持つことが出来たなら…それは私の理想です。

 

とても難しいことです。
当事者になって初めてわかることも沢山あるでしょう。
本当に目の前の死と向き合わなければならないシチュエーションで、冷静に、穏やかに、様々なことを決断できるでしょうか?

全ての方にそれが出来る機会があるわけではなく、ましてやそこまでを求めることも出来ません。難しいけれど、それでも最期に愛するひとたちへ愛と優しさを届けられたら。
できるだろうか。できるようになれたらいいな。

 

言葉を交わせる間に、「ありがとう」をたくさん伝えて、「大好きだよ」をたくさん伝えておけたらいいな。

 

そこでハタと気づきました。何もそのときに始める必要はないのです。今から1秒後にでも、誰かに伝えに行けばいいのですね。「ありがとう」と「愛してる」日本人は態度に現すのがとっても下手ですが、今この瞬間に伝えたいことは伝えておこう。

そう思った猛暑の夏。

                                      水浅葱

ハート型の雲