年賀状

ダイアモンド富士

新しい年が始まりました。

 

初日の出を見に竜ヶ岳という山に登ってきました

富士山頂から日が昇るという

ダイアモンド富士です

 

 今年もたくさんの年賀状をいただきました。家族写真の年賀状もいただきます。

大切な家族を亡くされた方には家族写真の年賀状を貰うのはつらいという方が多く

いらっしゃいます。それが当たり前の感情なのかもしれません。

ところが私はなぜか大丈夫なのです。もちろんお子さんの写真はうらやましくて

しかたがありません。でも同時に亡き息子に思いを馳せる助けにもなるのです。

 赤ちゃんの時に会ったきりのお子さんがこんなに大きくなったのかと思い、

ではうちの息子はどのくらいだろうかと想像がふくらみます。この姉・弟はうちと

同じパターンだ、年の差がうちと同じだからうちもこんな感じだったのだろうか

と思いを馳せます。また、写真でしか知らないご家族の方々とも何となく知り合いの

ような気になり、これもご縁ではないかと思うのです。そして、よその子が大きくなり

年賀状に登場しなくなると、他人事ながらさみしく感じるのです。

 わが息子は2回しか我が家の年賀状に登場できなかったけれど、その年賀状の写真の

おかげで、会ったことのないパパ・ママ・お姉ちゃんの友人にもお見知りおきいただき

この家には男の子さんがいたよね、と頭の片隅に残っているのではないかと密かに

期待するのです。

 一方、自分で出す年賀状は…

 息子の亡くなった年、たった2歳の息子のお知らせを義父や父等が亡くなった時と

同じような地味な喪中通知にはしたくありませんでした。息子の写真をたくさん載せ

思い出を綴ったカードにしました。こんな形で非常識だろうかと心配して葬儀社の開催

したグリーフケアの会でお坊様に伺ったところ、あっさり「構いません」と言われ、

安心して出しました。(さすがに主人の仕事関係は普通の喪中通知を出しましたが)

 さて問題はその翌年以降です。

世間的に我が家は喪はあけていますが、自分の中ではまだずっと喪中です。

「おめでとうございます」とか「賀正」なんて気分ではありません。

年が明けていったい何がめでたいのだろうと、まさに

中原中也の「また来ん春」の心境です

 

 また来ん春と人は云う

 しかし私は辛いのだ

 春が来たって何になる

 あの子が返って来るじゃない

   (後略)

 

 自らおめでたい言葉を文字にすることはとてもとてもできませんでした。

そんな時にこちらの分かち合いの会で良い言い回しを教えていただきました。

 『新年のご挨拶を申し上げます』

「おめでとう」とも「賀」「春」とか見るからにおめでたい言葉は使っていません。

「新年」くらいは許容範囲です。

この言い回しを数年使っていました。

 また、息子をどうにかして年賀状に登場させたいと思い始め、これもこちらの分かち

合いの会でヒントをいただき、息子にゆかりのある物を載せるようになりました。

友人が亡き息子に送ってくれたくまのぬいぐるみ、幼稚園のカバンとスモッグ、

七五三の千歳飴、ランドセル、レゴなどなど。でも年数がたち、この年頃の男の子が

どんな様子なのかわからなくなってきました。息子がどんな風に育ち、どんな物が好き

なのかわからないというのは、全くつらくて情けなくてさみしくなります。

 今回は同じ年の男の子を持つ友人が息子に供えてくれたパズルを登場させました。

子供を亡くした場合は同じ年頃の子供の話を聞くのはつらいことが多いのですが、

私の場合は息子に思いを馳せる手掛かりになるので、場合によりますが大丈夫です。

お参りに来てくれて、私に乞われ初めて三年生の男の子がどんな風なのかを言葉を

選びながら教えてくれた友達はありがたい存在です。

相手の思いやり次第なのかと思います。

 娘も一昨年から年賀状に自分の写真が載るのを嫌がるようになりました。

息子もあと数年すれば嫌がるようになるのでしょう。それまであと数回は息子を

我が家の年賀状に載せたいと思っています。

そして家族の名前の最後には息子の名前が載るだけの空欄を必ず空けておくのです。

(空色)