ドラマのセリフ

空色です

 

新年度が始まりました。

今日は青空の広がるいい天気です。

 

「雲ひとつない青空」という表現があります。

 

 先日、テレビドラマの中で、自らの心の内をあらわすのに、この表現が使われていました。

前科のある主人公が、罪を背負って生きていく自分には「雲ひとつない青空」のような曇りのない明るい気持ちになることはもうないのだろう、という場面でした。

状況は違いますが、思わず自分の心境と重ね合わせてしまいました。

 子供を亡くすという、それこそテレビや小説の中のできごとかと思っていたとんでもない不幸が自らの身におこってしまってからは、どんなに楽しいことがあっても、どんなにきれいな景色を見ても、心の底から楽しんだり感動したりといった「雲ひとつない青空」のような気持ちにはなれません。心に常に冷たくて重いものを抱えています。

 

 ドラマの中では、こんなふうに続きます。

  「雲ひとつない青空」は望めなくても、雨のあとは晴れるし、雨の時に傘をさしかけて

  くれる人もいる。

 

 数年たって、私も心の底から笑顔にはなれなくても、笑うことはできるようになりました。

雲ひとつない青空より、雲があったほうがあの子が雲の上にいるような気がするので雲のある空の方が好きになりました。

 

 

先月の朝ドラのセリフ

 「こどもを亡くすゆうんは、1年やそこら泣き暮らしてもどないもなりまへんで。

 慣れるのに10年20年、人によっては一生かかります。それは覚悟しといたほうがよろし」

 

 まさにその通り。

この悲しみとは一生つきあう覚悟はしています。

こどもを亡くしたことに慣れたくない、そんな心の抵抗もあるのかもしれません。

 

 

最後にBSのドラマより

 花火大会の宣伝で    お盆の花火は大きな迎え火です

 

 こどもが亡くなる前の晩、一緒に花火をやろうと思ったのに、あの子は早々に寝てしまい花火ができませんでした。まだまだ何度でも一緒にやるチャンスがあると思っていたのに。

 こどもを亡くした翌年の夏、マンションの方々が花火をやろう、と集まっていました。

思わず「うちが花火すると迎え火になっちゃうから」と断り、家にこもっていたこともありました。

 こどもが亡くなる前にどこかの河川敷の花火大会には連れて行ったことがあります。まだ赤ちゃんだったから覚えてはいないでしょうが。

 大切な人を亡くした者にとって、花火が迎え火に思えてしまうのは、よくあることなのかもしれません。だからお盆のころに花火大会が多いのでしょうか。

 

 こんなふうに、ドラマを見ながら、何かのセリフが心に引っかかり、ドラマどころではなくなってしまうこの頃です。

 

(空色)