父の命日に

 昨日は父の命日でした。

父のお墓は、息子のお墓と同じ霊園のお堂の中にあります。

いつもと同じように先に息子のところに寄ってから父の方へ行きます。

息子のところに週に2回は行くので、父のところにも寄り、お花は常にたやさないようにしています。父は、孫のおかげでとはいえ、こんな親不孝の娘がまめにお参りに来るなんて、あちらで驚いていることでしょう。

お墓に行くと、紅茶とお菓子が備えてあり母が来た形跡がありました。

お堂ではお供えものの食べ物はそのままにせず、持ち帰るきまりになっていますが、母はいつも置いて帰ります。私はいつもそれを持ち帰り、娘のおやつに出します。

「じいちゃんから」と言って。

父は、あの年代の男性にはよくあるように、仕事一途の人でした。土日も仕事でしたから、私には遊んでもらった記憶も、家族旅行の記憶も殆どありません。

でも、私が高齢出産だったおかげで、娘が生まれた時には、父は仕事を引退していましたので、孫とは遊んでくれました。娘にはその記憶があります。じいちゃんからのお菓子も紅茶も喜んでいただきます。

 

 父が癌で闘病中、母は不安がって毎週来てほしいと電話をよこしていましたが、めんどくさがりで薄情な娘であった私は、2週間に1度、3週間に1度も通ったでしょうか。。。

2年くらいと言われていたのに、ほんの数か月の闘病生活で逝ってしまいました。亡くなった時、悲しいのはもちろんでしたが、申し訳なさとうしろめたさが勝っていたように思います。

 

 父が亡くなった後の色々なことの中で、妹がいてよかった、と思いました。と、同時に親を亡くした時に一人で何もかも背負わなくて済むように、娘にも兄弟を作ってあげたいと心から思いました。すでに娘は4歳になっており、もちろん、それまでも子供はほしいと思っていましたが、なかなか叶いませんでした。

 父の死後、3か月で息子を授かりました。

ああ、父が授けてくれたんだな、と思いました。

しかしすぐに壮絶なつわりが始まり、吐くとき時以外は寝たきりという生活が3か月。

食べることはもちろん、あまりの苦しさに眠ることもできませんでした。衰弱しているのでとろとろとまどろむのですが、吐き気と苦しさですぐ目がさめます。朦朧とした意識の中で、父の病気での痛みや苦しみはこんなものだったのだろうか、抗がん剤の副作用ってこんなものなのだろうか、などと考えていました。お父さん、薄情な娘でごめんなさい、と。

 

 息子がまだたった2歳で逝ってしまった時に、父が、義父があちらにいることが、どんなに

心強かったでしょう。義父や父には申し訳ないですが、先に逝っててくれてありがとう、と。

 

父の命日にそんなことを思い出していました。

 

空色