命日と友と

7月になると、友からぼちぼちメールが来ます。

「お元気ですか、久しぶりにランチでも」という間接的なもの

「お参りに伺いたいのですが」という直接的なもの

 

7月にはお盆もあるし、月末近くには息子の命日が控えているのです。

 

昨年2013年の7月が、このブログに参加して初めての命日でした。

昨年、こうして連絡をくれた友人らにこのブログを紹介しました。

「大切な人を亡くした仲間たちと交代で書いています。よかったらご覧ください」と。

 

1年たち、今年、そのブログについての感想をよせてくれた友人が何人かいました。

「時々拝見しています」

「心のうち、気持ち、など今まで私が知りえなかったことが描かれており、初めて

知ることでした」

「これからも時々読ませていただきます」

私の歳ですから、親を亡くした友は何人もいます。

亡き子への思いは「想像することしかできない辛さ」だけれど

親についてのブログには「共感するところがある」と。

自身でも、仲間とブログ発信している友は「こういう場があるのはいいね」と

言ってくれました。

 

今年の命日の朝、娘とお墓詣りに行きました。

そこへちょうど友人からメールが入りました。娘の幼稚園時代の友人、息子の1~2歳を

知っている友からです。

 

  ××ちゃんはいつも、あどけない表情で周りをじっと見てたよね。

  今でも、きょとんとした目で空から見てるのかな。

    (中略)

  小さいままの××ちゃんスマイルで、なんだか天使みたいだと思います。

 

  ○○ちゃん(娘のこと)がしあわせでたのしい気持ちで、毎日を過ごせますように。

  △△さん(私のこと)、だんだんと心穏やかな時間が増えていきますように。

 

素直にうれしかった。涙がでました。

子どもの命日を迎えた友にどうやって声をかけよう、どう受けとめるだろう、

本当に言葉を選ぶし、気も遣う、考えただけで気が重い作業だと思います。

「いい言葉が見つからなくてごめんなさい」とメールをくれた友

メッセージカードなしで花やお菓子を送ってくれる友ら

気持ちは十分に伝わります。

本当にありがとうございます。

こんな友らに支えられて、ようやっと生きていけるのだなぁ としみじみ感じました。

 

友人の子どもの命日なんて覚えていないのが普通です。

夏だったなぁくらいは覚えていても、どうしたらよいかわからなくて、触れないことを

良しとする人が殆どです。

また、お参りに行ったり、息子の話題を出すことで、私が前を向くのに邪魔なのでは…

と私を気遣うがゆえに連絡してこない友もいます。

子どもを亡くすなんて、想像すらしたくないですし、

(ほんと、恐ろしいから想像しないでください)

こんな気をつかう相手に連絡するのも面倒ですからね。

それはそれで仕方のないことだと思っています。

 

人それぞれ、同じように子どもを亡くした方々でも悲しみのあり方は色々で、

周りの人たちにどうして欲しいかも様々です。答えは一つではないし、何が正しい答え

なのかも、人により、時によるのですから。

 

私にとっては、友が話題にだそうが出すまいが、息子を思い出すことをやめることは

ないでしょう。息子がいなかったことにはできません。

息子のことで悲しくなったり辛くなるのは当たり前。でも楽しい思い出もたくさんある。

だから、たまには息子のことを一緒に思い出してくれる友がいたら、息子が生きていた証に

なるようで、とてもありがたいし、うれしいな、と思うのです。

 

3.11をはじめ、数々の被災者の方々が「忘れないで」と呼びかけているのも

こんな気持ちもあるのではないか、と思っています。

 

そんな親の気持ちの一例として、このブログを通して、

(私の友だけでなく)PCの向こう側で読んでくださる多くの方々に、

伝えていけるものがあるとよいな、と思っています。

 

空色