2010年

12月

30日

おせち料理

お久しぶりです。赤レンジャーです!

 


今年も早いもので、残すところあとわずかになってしまいました。


年末になると、お正月用品を買い求めて、デパ地下の食料品売場は、大変な賑わいです。


母が生きていた頃は、おせち料理を母が作り、私がお重箱に詰める役割でした。


黒豆を煮たり、お煮しめを作ったり、栗きんとんの栗を妹と取りあったり、台所は母の笑い声がこだまして、賑やかでした。


きっと何年たっても、お正月を迎えるたびに、亡き母に対する想いが膨らみ、寂しさと格闘するのかも知れません。


来る2011年が良い年であります様に。

2010年

12月

20日

お墓について

昔ロシアで、お墓めぐりをしたことがあります

 

モスクワにあるノボテビッチ修道院のお墓には有名人がたくさん眠っています

政治家のフルシチョフ、スターリンの奥さん、作家のチェーホフやゴーリキー、音楽家のショスタコービッチなど

 

でも心に強く印象づけられたのは、お墓が自然な森のようになっていることと

その森の中にある、亡くなった方がどう生きたのかが一目で分かる墓石

 

ある音楽家の墓石には、全休符が描かれている(フォルテッシモが打たれている)

ある将軍は勲章を沢山つけた軍服を着て

ある歌手の墓石は手を広げて歌っているポーズ

ある作家の墓石は抵抗する強い意志を感じるざらざらとした丸い石

 

まさかお墓めぐりをした1年後、自分がお墓の手配をするとは、思ってもみませんでした

 

今、私の大切な人は古い公園墓地で眠っています

大きな木が生えて、自然にまかせるような雰囲気があり、もみや松の木に風がわたる音や、季節の花になんとなくなぐさめられるような気がします

 

1人でお墓に行くとき、語りかけてみますが、一方であそこに、無表情な大きな石の下に、私の亡くなった大切な人がいるとは思えないし、思いたくない自分がいます

 

もしもう一度お墓が作り直せるとしたら?

もう少しどう生きたかがわかるようなお墓にしたいと思いましたし、

その場合、ひょっとしたら石じゃなくて、木とか花でもいいかもしれないと思います

 

一昨日の分かち合いの後、お墓の話がちょっと出て、考えたコトです

 

(青)

2010年

12月

13日

この世とあの世を結ぶ風

お久しぶりです 

 

今日は最近見つけたステキな詩を共有したいと思います。



『言葉にならない「詩」は、私たちの心の深みに、

 

そして日々の生活のいたるところにひそんでいる。

 

詩は私たちの意識に風穴を開けてくれる。そこに

 

吹く風は、この世とあの世をむすぶ風かもしれない。』

 

(谷川俊太郎、2002)



この世とあの世をむすぶ風、本当にごくごく僅かですが

感じたことがあります。

 

私の場合、それは亡くなった母が送ってくれる風。

 

変な話ですが、意識がない状態で病院に横たわっている母から

電車に乗っている私に向かって突然「青ちゃん」

(実際は青ちゃんじゃないけれど)と呼ばれたことがありました。

ものすごくリアルな声で、はっと横を向いたほど。

今でもその声はありありと心に描くことができます。

 

ひょっとしたら、ただの空耳だったかも。

でも大切にしたい、心の録音テープです。

 

夜が深くなるこの季節、この世とあの世の距離も、少し近くなるような

気がしています 

 

(青)

2010年

12月

07日

お葬式はいらない!?講演会の報告

イエローです。
 
先月宣伝させていただきました講演会
「葬式はいらない!?~自分らしい葬式のあり方を考える講演会~」の報告をします。
 
11月13日(土)14:00~16:30
島田 裕巳氏(宗教学者。東京大学客員研究員)を講師に講演会を開催しました。

参加者 名。
 
葬式からお墓の問題、「死んだらそれでおしまい」にはなれない死後の不安まで抱えていることを歴史的な経緯や世界的な動向など幅広く具体的な話を交えてお話をいただきました。
ご自身の死にまつわる体験から、人はどう生きて行ったらいいのかといった人生観にまで触れていただき、不安に思っていたことや思い悩んでいたことが死というものを前にしてしまえば、何てことはないことに思え、逆に生きる希望や安心感がうまれた有意義な時間となりました。
 
当日アンケートを取りましたので、ご参考まで
--------
<<会報へひとこと&アンケートの結果>>
 
<会報へひとこと>
 
開 始時間に遅れたので途中からの参加でしたが、お墓、お骨、遺産、香典返し等お葬式にまつわる具体的な現場について話がきけて大変面白かったです。「死は ぜったいに避けられないもの」ということを今の人々は忘れているのではないか、という話。それがさまざまな問題とつながっている。まさにそのとおりだと思 います。
 
葬式や遺骨など、ともすれば重く暗くなりがちなテーマを、軽く明るく語ってくださったのが、印象的でした。
 
 
<アンケート集計>
回答数 23通(参加者 名)
 
1. 1講演会は役に立ちましたか?
「大いに役に立った」、「役に立った」で約9割の方から役に立ったと回答をいただきました。
<具体的な意見>
 ・死後の骨の問題が大変なんだということに気づけた
 ・葬儀や死についての柔らかい考えがきけてよかった。
 ・父、母、むすこをなくし、毎年すごく大変なお金もかかり、親類との関係もむずかしい中で来ました。学問的に見ることが出来て、いろいろ考えるもとになった。
 ・葬式、お墓について現実的に考えるキッカケを得ることができた。
 ・島田先生の講義内容が素晴らしかった。
 ・島田先生の考え方がよく分かった。
 ・葬儀や死についての柔らかい考えがきけてよかった。
   ・他の地方、他の国の葬儀についての話があった。
   ・形式ばった葬式にしたくなかったので。
   ・それほど遠くない時期に「葬儀」を迎えそうな年代です。本人だけでなく家族が、まだまだ「家」という形にとらわれている中で、私達はどうしたらいいのかを考えるよいきっかけになりました。
  ・グリーフケアとお葬式の関係性についてのお話はあまりなかったような気がしましたが、現代社会について色々ためになるお話が聞けて良かったと思います。
・葬式だけでなく墓や死についても改めて考える機会になりました。
・葬儀だけでなく墓、死についても色々と楽しく?まなべました。
・普段気になっているけどなかなか話を聞くことのない事柄につい(墓、骨、無縁死など)いろいろ具体的な話がきけておもしろかったです。
・いま自分の直面する問題に参考になった
・面白かったです
 
2.よかった点はどこですか。
・わかりやすい話方と声がよかった。机があってよかった。
・様々な方向から(自分とは違った視点から)の意見が聞けた。特に感情に捕らわれるに、大変「乾いた語り口」で話して頂けたのが、聞きやすかった。
・生死観について認識が深まった。
・本だけでは伝わってこない部分が理解できた。
・フリーズドライ ネットでみてみようと思います。
・1の理由と同様、具体策もおもしろくお話をきかせて頂くことができた。
・「死はさけてとおれない」そのとおりだなと。少し気が楽になりました。
・具体的でわかりやすい話でした。
・お墓や遺骨の存在について考えさせられました。
・島田先生の考えが聞けてよかった。
・先生の語り口が楽しかった
・遺骨の扱いが、火葬技術が精緻化したために難しくなり、新たな方法が試みられている。
・葬式組の事、納得しました。〇〇出身ですが、30年位前までは、葬式組がありました。私もお手伝いを何回かありました。
・葬儀のあり方について疑問に思う事は多々あっても充分に話し合えないテーマでしたが、先生の率直な問いかけを聴いて、これからの葬儀(自分の人生のしめくくり方)を考えていく必要を感じました。
・話が聴きやすかった。
・先生の話が全般的に面白かった。〇〇病院の話。先生が質疑応答に正直に答えて下さったこと。
・どういった点で葬式がいらないかわかり易い説明だったと思います。
 
3.今後取り上げてほしいテーマや企画等がありましたら教えて下さい。
 
・無宗教者は、生きる支えをどこから得ればよいのか?
・お墓について
・いろいろな宗教家の人の話もきいてみたくなりました。
・今40代ですが、年代に 私の周囲は、先祖にしばられすぎてる人、解放されすぎる人 2極化しているようです。その境界に着目した企画に期待したいです



4.自由記入欄
・とても楽しかったです!
・漠然とした不安というか霞がかかった問題に、これから自分なりに考えるためのいくつかのヒントが得られた。但し、やはりどう回答を出すかは個人の問題、身近な人との合意の問題と思った。
・気が楽になりました。どうもありがとうございました。
・ご案内をいただき、聴講させていただいたこと感謝いたします。
・自分のお葬式について考えるきっかけになりました。
・構成としてまとまりのあった講演だと思います。
・最後の質問の公園的墓地の構想 大賛成です!!なにか方法あれば賛同したいです、ぜひ。

2010年

11月

06日

葬式はいらない!?

 久々のイエローです。


先日、広島県福山市に出張してきました。
仕事のあと、近くの因島というところで、

お坊さんをしている友人に会いました。
 
こころを病む人が多くなってきているのは、
こころの専門家である宗教家が活躍していないとの
話になりました。
 
普通に暮らしているとお坊さんとかとの接点は、
あまりないですよね。
あえてあるとすれば、
親しい人の死に直面した時なのではないでしょうか。
 
お坊さんいわく、
かつては、
死者が出たとき、
納棺や葬儀の仕切りなど、
最初からお坊さんが相談に乗ってやっていた。
その過程で、死に対してどう向き合うのかなど、
こころのケアをお坊さんがしていた。
 
しかし、近年、葬儀屋が関わるようになって、
お坊さんと家族との間に葬儀屋が入って
隔てることになってしまっている例が見受けられるようになり、
お坊さんと一般の人との距離ができてきてしまっているとのことでした。
 
一方、宗教家側もお寺の中に安住して、
一般の人との接点を持つ努力をしていないとも言っていました。
 
「葬式」きっかけに、生老病死に対して、どう向き合うか、
一緒に考えてくれるこころの専門家が必要なのかなと思いました。
 
「葬式」って、
形骸化して、高額なものになってきたっていわれてきているけど、
みなさんどうお考えですか?
 
来週、宗教学者の島田 裕巳氏(東京大学客員研究員)をお招きして、
講演会を開催します。
みなさん是非ご参加下さい。

http://www.seitosi.org/lecture/inochi.php
 
「葬式は、いらない!?」
~自分らしい葬式のあり方を考える~
 
◯日時:2010年11月13日(土)14:00~16:30 受付13:30より
 
◯場所:真生会館4階第7会議室
〒160-0016
東京都新宿区信濃町33-4(JR総武線信濃町駅前。改札を出て右手の「テイハナ」という花屋さんのとなり
 
◯対象:関心のある方どなたでも
◯参加費:会員・学生1000円 一般2000円
◯定員:100名(事前申込み/先着順)
 
◯講師:島田 裕巳氏(宗教学者 東京大学客員研究員)
<講師略歴>
 1953年、東京都生まれ。宗教学者。文筆家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。日本女子大学教授などを経て、現在、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員。宗教現象を中心に、幅広い視野から現代社会のありようを問う。
 著書に、『教養としての日本宗教事件史』(河出ブックス)、『葬式は、要らない』『日本の10大新宗教』(ともに幻冬舎新書)、『無宗教こそ日本人の宗教である』(角川Oneテーマ21)、『創価学会』『相性が悪い!』(新潮新書)など。

<講師からのメッセージ>
 葬式をめぐって、あるいは死をめぐって、日本の社会が揺れている。一方には、諸外国に比べて高い葬儀費用の問題がある。その一方で、無縁死や孤独死の問 題がある。現在の日本は高齢化社会を迎え、自分がどのように死ぬか、多くの人がそれを真剣に考えなければならない状況が生まれている。
 自分らしい死に方とは、自分らしい生き方をさす。死は、生の結果であり、どのようにその人間が生きたかを反映する。死が問われるということは、生が問われているということであり、また逆に、そこにこそ死の問題を解決していくための糸口がある。
 生きている間に、自分の死後のことに不安を感じるのは好ましいことではない。死者を葬ることに、生きている者が煩わされるのも、やはり好ましいことではない。いかに、私たちは、死後の不安から解放されるのか、その点を軸に葬式の在り方について考えてみたい。
 
◯内容
死は避けきれず、突然来ることがあり、その後の葬式には、準備するための時間が十分かけられることができませんが、自分の葬式ができるのは1回きりです。
そもそも、葬式とはいったいどういうものか、そして、どう葬式に取り組んだらいいのか。
多くの方が漠然と不安や疑問をもったまま、「死」にまつわる忌避感があるため、考えたり、話しあったりする機会を持ててこなかったのではないでしょうか。
著名な宗教学者である島田先生をお招きして、お話しを聞くと共に自分らしい葬式とは何かについて、考える機会を持ちます。

1部:講師による講演 
2部:参加型の話し合い
 
◯申し込み方法:
下記本会宛、電話(火・金/午後)ファックス、メールでお申し込みください
NPO法人 生と死を考える会
〒160-0016 東京都新宿区信濃町33-4 真生会館内
tel 03-5361-8719 fax 03-5361-8792
mail:koenkai@seitosi.org URL:http//ww.seitosi.org
 
写真は、広島で食べた「牡蠣入り広島焼き」と「尾道ラーメン」

牡蠣入り広島焼き
牡蠣入り広島焼き
尾道ラーメン
尾道ラーメン

2010年

10月

27日

人間らしい

一巡して再びピンクレンジャーです。

 

前回のプレイリードッグのお話に、ぐぐっときてしまいました。

なぜなら私にとってもちょっとタイムリーな話だったのです。

そのお話を受け継いで、私も思い出したことがひとつ。



わが家では念願だった子犬をこの春から飼い始めました。

こどものいない私達夫婦には本当に子育てのようで、生活の癒しであり励みであり、無我夢中で育て、

ペットであっても本当にこうやって家族になるんだなって体感していました。

実は先週、その仔を避妊手術へ連れて行ったのです。

その仔を動物病院へ送り届け、

我が家に帰ってくると、

いつもいるはずのその仔の居場所が空っぽ。(入院したんだから当たり前)

いるはずの姿がないことに一瞬、私は錯覚して気が狂ったように悲しくなり泣き崩れました。

別に死んだわけではないのに。

今も生きているのに。

ただ2,3日離れてるだけなのに。

 

私は、父親が死んだときに、いつもの家の中の風景から、

ある日突然あるべき姿が忽然と無くなったことがフラッシュバックしたのです。

歯ブラシも使ったタオルもそのまま。ヘアートニックの匂いも残ったまま。

本当に忽然と、その唐突さが残酷でした。

 

「ああ、

こうやって大切なものが跡形も残さずいなくなるんだ。

こうやって大切なものを失っていくんだ。」

 

トラウマのように一瞬にしてあの夢がよみがえりました。

何度も何度も子どものころからみてきた夢。

朝起きたら、いつもの家の中で誰もいなくなり一人残される夢。

 

ひとしきり泣いた後、

同時に以前、男友達から言われた潔い言葉を思い出しました。

その時は私が飼っていたインコが死んでしまって、

またもや気が狂ったように過去の父親の死とダブらせていたときに、

こう言ってくれたのです。

 

「大切なものを失う悲しみが大きいのは当たり前のこと。

一方で大切なものを得て、よろこびや楽しさがそこにあるのだから、

いろんな思いをするのは人間らしいだろ。

何も得ないで、何も感じないで、

悲しみを避けていることより、より人間らしいだろ。

だったら俺はそっち(いろんな思いをする方)を選ぶよ。」

 

すごく衝撃的でした。

哲学的なかんじもしたし、

人間らしいなんて、それまでどんな大人も同世代の友人も言ってくれる人はいなかったのです。

当時20歳そこそこの友人から言われたこの言葉は、

死別の悲しみにどっぷり浸って何かを失うことに臆病になっていた私の背中を押してくれました。

 

この言葉をすぐに思い出し、

うちの仔犬や周りの家族や大切な人たちと出会たこと、その全てに感謝しました。



退院して戻ってきたわが家の仔犬も元気です。(元気すぎるくらい!)

いつかその仔や、私の周りの家族や友人と別れなければいけない時がくるでしょう。

でも、

臆病にならずに、すべてのことを受け容れていきたい、

そう改めて思い直した出来事でした。

2010年

10月

18日

メモリアルサービス

乱入です!

久々の登場のピンクレンジャーです!

実は私、スピリチュアルなものに魅かれる傾向もあってか、

密やかに今年の神社でのメモリアルサービスを楽しみにしておりました。



10月9日土曜日。

あいのくの本降りの雨でしたが、

下北沢の北澤八幡神社はしっとりと私たちを迎えてくれました。

 

今年は初めての試みで、神社でのメモリアルサービスとのこと。

 

北澤八幡神社では、日本古来の神様のもと、

神主さまの響き渡るお声とともに、

御霊が降りてくる時間を頂きました。

 

それは

とても短く、

とても愛しく、

とても切なく、

そこに漂っている「じ~ん」とした空気を通して、

誰もが亡くなった大切な方々との呼吸を、感じた時間だったかのように思われました。

 

神主さまのお話やそのあとの参加者のみなさまのお話に耳を傾け、

こうしてなかなか体験できないすてきな時間を頂くことができ、

自分の中で故人とじっくりと向き合う良い機会でした。

また、雨の神社っていうのがすてきで。。

 

みなさまもぜひまた来年参加しましょう!

2010年

10月

18日

ペット(家族)とのお別れ。

緑レンジャーです!!
先週のひまわりの会で「若者たちが語る生と死」について皆さんと話をしました。
その際、若者が生と死について考える機会としては、メディア、デス・エデュケーション、そして近親者の死、ペットの死などが挙げられるかもしれません。

そこで、今回は「ペット(家族)とのお別れ」について書こうと思います。

僕は近親者を亡くしていますが、それと同時に、大好きなペットを亡くしたことがあります。
そして、僕にとってペットの死は、「家族の死」です。動物と一緒に生活している人にとっては、ペットという枠というようりは、まさに「家族の死」なのではないでしょうか。
 
僕は、大学時代一人暮らしをしていた時、「プレーリードック(リスを大きくしたような動物)」を飼っていました。
プレーリードックは、野生で家族とくっ付いて寝る習性があり、その子は、僕と同じ布団の中で寝ていました。
なので、寝る前までは、僕の太ももの間に入り込んだり、朝、起きると足元で寝ていたりと・・・。
 
そして、その寝起きはまさに人間と一緒です。
お腹を上に向け寝ているではないですか?!
お腹をコチョコチョと触ると、まだ眠いと言わんばかりに、布団の下の方へと下がるのです(完全に二度寝の常習犯でした)。

そんな愛くるしい子が亡くなった時、僕はその子との見えない絆を体感したように思います。
それは、その子が亡くなった夜、最後に一緒に寝ようと思い、その子を抱えて二階に上がった時、
 
僕は初めて知りました・・・。その子が「こんなに重いんだ」ということを。
 
それは今まで抱き抱えた時には感じたことのない重さでした。

生きている時は、その子はただ単に僕の腕の上に抱かれていたのではなく、その子は僕に身を任せていたということだったんですね。そこには目に見えない信頼、愛、絆があったのかもしれません。
家で飼っている動物は、確かに人間がご飯をあげなくては生きられません。
でも、それはまさしく人間の勘違いなのかもしれません。
 
僕がこの子にどれだけの安らぎをもらっていたか・・・・。
そして、僕がこの子を生かしていたのではなく、僕がこの子に生かされていたということ・・・それが真実のように思います。
 
なぜ今回、僕が「ペットとのお別れ」について書いたのか?・・・・それは、ひまわりの会で語ったテーマの1つだったこと・・・。それだけではないかもしれません。
この子は僕一人で飼っていたので、この子の死を語る機会はほとんどありません。
だからこそ、僕の中で、この子が生きていた証を記録として残したいと思ったのかもしれません。
 
僕はこの子のことは忘れません。
 
だから、まだだいぶ先かもしれないけど、僕が天国に行ったときには、また一緒に布団で寝ようね、らいちゃん。   
 
 
(緑)

2010年

10月

14日

「若者たちが語る生と死」@ひまわりの会

分かち合い隊、5人目の緑レンジャーです!!

「緑」と言われて、皆さんは何をイメージしますか?
僕は・・・「緑」=「生命」「大地」をイメージします。そして、緑は僕が好きな色です。
実際、部屋とかに、緑の植物があったりすると、何か癒された気分になるのは僕だけでしょうか?!

さて、緑レンジャーは、今週末(10月16日)の「ひまわりの会(生と死を考える会のHPをご参照下さい)」で「若者たちが語る生と死」でお話をすることになっています(緊張・・・)。

そこで、今回は、その内容を簡単にご案内したいと思います。

ひまわりの会では、まず「果たして、若者は生と死について語るのか?」と問題提議をした上で、

1.成人期以前の発達課題 2.若者と自死 3.若者が「生と死」を語る機会 4..若者とメデイア(ゲーム・テレビ・映画) 5..若者とキーワード
について、簡単に意見を述べたいと思っています。

そして、これらの内容のまとめとして、

『現象(行動や考え方)が加齢の影響によるものか〔若さゆえのものか〕、「現代」の若い世代に特有のものかを分けて考える必要性』

『若い世代にとって「生と死」について考えることの意味とは?』

について皆さんと意見交換をできたらと考えています。

直前のUPですが、もし興味がある方がございましたら、一般の方(非会員)でも参加可能ですので、是非、ご参加をお待ちしています。 (緑)

2010年

10月

08日

栗ご飯

こんにちは~。


またまた登場の赤レンジャーです。


食欲の秋とはよく言ったもので、食べる物全てが、美味しく感じられる今日この頃です。


特に私がこの季節、一番楽しみにしているのは、栗ご飯です。


でも、何処の名店の和食屋さんにも負けない程、美味しかったのは、亡き母がよく作ってくれた、栗ご飯でした。


台所で栗を剥くのを手伝いながら、炊き上がるのを、今か今かと楽しみにしていた、子供の頃‥。


もう、あの母の味が二度と食べられないと思うと、寂しいです。


でも、きっと一緒に食べていると信じて‥。

2010年

9月

29日

スタジアムライブ

分かち合い隊、4人目の赤レンジャーです!

先日、私の大好きなコブクロのスタジアムライブに、大阪長居陸上競技場まで行って来ました。


思えば、私が悲しみや苦しみに押し潰されそうになった時に、どれだけ音楽が心に寄り添い、癒してくれた事でしょう。


一番辛かった時に、擦り切れる程聞いた、「蕾」


コブクロの小渕さん自身も、18才の時に大切なお母様を亡くされて、その想いが沢山詰まっている大事な曲…。


私も「蕾」の歌詞に、自分の気持ちを重ねて励まされ、何度も背中を押してもらった気がします。


若い世代の分かち合いも、大切な人を亡くした悲しみに寄り添い、少しでも心に抱えた荷物を、静かに降ろせる場所になれればと思います。

2010年

9月

20日

物語が人の心を癒す

先週のシンポジウムの打ち上げで、ある人が「物語が人の心を癒す」とおっしゃった。

確かに


悲しみや苦しみが何で癒されるか、人それぞれだ。


でも「1年以内に普通の生活に戻る人が○%」とか、「感情は一時的なもの」とかデータや一般論では、癒されないのではないかなと思う。


大切な人を失ったとき、癒された物語は何だっただろう?


私の場合は「西の魔女が死んだ」という小説がその一つ。

主人公の女の子とおばあさんの交流を描いた梨木香歩さんの

作品で、映画化されたのでご存知の方もいらっしゃるかも?

 

ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ ヘ

オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ

(最後の場面より)


小説のほかにも歌詞とか古典とか、物語といってもいろいろあるだろう。


そして分かち合いの会も大切な人を亡くした人が格闘したり味わってきたそれぞれの物語を交換しあう場所なんだなぁと思う。


決して楽しい話ではないし、綺麗な話でもない。でも終わった後はいつも参加してよかったと感じる。


不思議だけど、気がつくと自分の抱える物語と重ねて、少しはりつめていた心が緩んだり、1人ではない気がする。


先週第3土曜日、9月の若い世代の分かち合いが行われました。

一般の方々にもオープンしての1回目。楽しみにしてくださっていたという言葉にとても励まされました。

これからもどうぞよろしくお願いします

 

 (青)

 

2010年

9月

12日

シンポジウムの報告♪

青レンジャーから、先週のシンポジウム報告です。


2010年9月11日(土)、ついに1年前から準備していたイベントが

開催されました。このブログでもお知らせさせて頂いた

「若い世代の死別について、みんなで考えてみませんか」のシンポジウム。

 

シンポジウム
シンポジウム

1部が米虫先生の講演(写真の笑顔の女性です)で、2部がパネルディスカッション的に死別体験を話すパート、そして3部で来て頂いた方々と意見交換、そんな流れでした。そして私は2部で、ほかのスタッフ4名とともに自分の体験を話すことになりました。

12時に準備スタッフが集合、会場準備などをしている・・・間は良かったのですが、開始時間が近づくにつれてなんだか、緊張してきました。あれ。

2部前の休み時間、「緊張するよね~。あはは~。」と笑ってほぐそうとするも、自分含めみな目が笑ってない。
「もう逃げたい!」そんな自分をきっと程度の差こそあれ、話す5人は抱えていたのではないでしょうか?

2部 15時40分から16時50分までの70分。

心臓が口から飛び出そうになりながら自分の話す番を待っていた時間。けれど気がつくと、パネラーとか、スタッフではなく、かけがないのない人を亡くした1体験者としてしゃべっていました。一人ひとりがあの場で、真剣に、自分の体験に向き合って言葉をつむいでいました。

会場の皆さん。真剣に聴いてくださって(ずっと人の話を聴くのは疲れるものだと思います)、涙を流し、ご自身の思いを話し、私達と一緒に「分かち合って」くださいました。

ありがとうございます。

シンポジウムを終えて、「よかったスよ」という言葉をくれた人。
後ろから拍手を送ってくれた準備スタッフ。
そして影に日向に、後ろから横から支えてくれた人たち。
ボランティアなのにこんなにしてくださる。なんかすごいです。このつながり。

心から感謝の言葉を贈りたいです。本当に有難うございました。

2010年

8月

25日

花火

分ち合い隊の2人目のイエローです!

食べること大好きですが、グルメというよりもB級グルメです。

8月の若い世代の分ち合いの会では、お茶菓子担当になり、はりきって買出しに行きました。
ばかうけ、アルフォードなどなど甘辛取り混ぜて購入。
でも、この連日の暑さに、チョコレート系が溶けてしました~
ちょっと残念(涙)

分ち合いを終えて、2次会に向かう駅で、花火が見れました。
近くの競技場で行われているコンサートの演出だと思いますが、
今年はじめての(生)花火で、うれしかったです。

お盆前後に花火大会よく開催されますが、
花火って空の上からもみれるから、
あの世にいる人も一緒に楽しんでるかなぁとふと思ったりします。
この世とあの世をつなぐ、光と音のイリュージョンなんでしょうね。

分ち合いの会で出しましたハート型のクッキーです。
分ち合いの会で出しましたハート型のクッキーです。

2010年

8月

09日

9月シンポジウムのご案内!

こんにちは~
桃レンジャー2度目の登場です。
 
今日は私たちが企画している
9月のシンポジウムのご案内です!
このシンポジウムを皮きりに「若い世代の分かち合いの会」が、
9月から毎月第3土曜日にオープンで始まります!
 
このシンポジウムは当事者・そのご家族・ご友人や関係者など、
多くの方のご参加をぜひぜひお待ちしています!

詳細は→「生と死を考える会」のHPへ http://www.seitosi.org/lecture/inochi.php

2010年

7月

26日

初めて来る人の気持ちは。。

みなさまこんにちは(^ε^)
このブログは「若い世代の分かち合いの会」各スタッフが、
持ち回りで書かせていただいています。
 
スタッフは、ちょうど5人いるので、
機動戦士○○レンジャーにちなんで、登場人物は5レンジャーで名乗りたいと思います(笑)
 
ちなみに今週の担当は桃レンジャーでございます。
 
ブログについていろいろ語ってますが、実はこれまで常に読者側。
書くのはまったく初めての経験です。
よろしくお願いします。

さてさて第1回目の桃レンジャーのテーマは、
 
信濃町にある「生と死を考える会」事務局に、初めて訪れた人のきもち
についてちょっと振り返りたいと思います。
 
あれ、
変なテーマですか?
スタッフらしくないと?
むしろ、私がはじめて訪ねたときの感想に近いかもしれません。
だって初めて来た時はとっても不安でしたから。
 
でも「初めてでも分かち合いの会や講演会に行こうかな」と、
考えてくださる方が沢山いると信じて、
雰囲気を少しでもお伝えできたら、いいですね~
 
 
まず「信濃町」駅に降り立った瞬間、
ふしぎ~な街の匂いがします

信濃町駅改札
信濃町駅改札

左手は明治神宮などのこんもりした森。
結婚式を終えたかと思われる大きな引き出物を持った集団が、
改札周辺でうろうろ。
 
正面には「慶應大学病院」がでーんと。
病院へ向かう足早な人々。
 
改札を出て右手に出ると、
花屋さんの隣に「分かち合いの会」会場と案内のあった建物があるはず。あるはず。

改札を出て右に出る
改札を出て右に出る

 「えーと、どこだろ、どこだろ」
「ああ、あった!」
 
??

真生会館前
真生会館前

(この日はバイクが停まっていてちょっとカッコ良さげ)





「何、何の会館??」
 
「あやしいかんじがするけど、
 
今日ここに来て良かったんだろうか。。」

「何の団体なんだろう。。」







と、建物の前でいったん躊躇するかもしれません。
 
でもご心配なく。

このビルはいろいろな事務所や団体が入っています。
私たち「生と死を考える会」事務局は、このビルの3階にあります。
「分かち合い」の会場もこの事務局を使用しているのです。

真生会館内エレベーター
真生会館内エレベーター
三階にお進みください。
三階にお進みください。
分かち合いの会
分かち合いの会

初めて来るところはただでさえ、不安なもの。

でも大丈夫です。





帰るころには、
ここが、
あなたの胸の内をわずかでも軽くできる、
不思議な時間と空間になることを
スタッフ一同願っています。

生と死を考える会
生と死を考える会 事務局

2010年

7月

26日

始めました!

つっ、ついに!


満を持して、「生と死を考える会」のブログを立ち上げました!



当面は「若い世代の分かち合いの会」スタッフで、

基礎的な運営を任されることになりました!

どうぞよろしくお願い致します。

 

ここでは各スタッフの日々の思いや日常、

会の宣伝や講演会の広報などなど。。

 

みなさんにいろいろとお伝えしていきたいと思います。

 

それぞれ書き込み担当が、

がんばって定期的に更新していきますので、

 

乞うご期待!