NPO法人 生と死を考える会 ”分かち合い隊”スタッフ日記

"分かち合い隊" 生と死を考える会 スタッフ日記について

このスタッフ日記は、分かち合いの会のスタッフが自身の死別体験や思い、日常の何気ない出来事などを発信するものです。この日記は、2010年7月26日に「若い世代の分かち合いの会」のスタッフの記事から始まりました。

 

テレビの機動戦士〇〇レンジャーにちなみ、各一人一人が自分の好きな色を1つ選び、記事の下の( )の中に記載しています。現在では、「若い世代の分かち合いの会」、「お子さんを亡くされた会」のスタッフを中心に記事を書き、その色は何色にもなっています。

 

スタッフが、ホームページ写真の「太陽と向日葵を暖かく橋渡しする限りない色の虹」のような存在になれたらと思います。

2018年

7月

15日

無題

ブログ(スタッフ日記)が更新ができないまま4年たってしまいまいた。

夏は「生と死」を特に強く意識する季節のような気がします。

お盆、原爆、終戦記念日、テレビ等マスコミでの色々な特集、そしてこのところの自然災害…

大切な人を亡くされた経験のない方々も「死」を意識することの多いこの頃ではないかと思います。

色々な思いを抱え、何かを求めてこのブログを訪問してくださっている方が数多くいらっしゃると思います。更新できずに申し訳ありません。

過去のブログ(スタッフ日記)はご自由にご覧いただけます。

亡くなった大切な人への思いは消えることはありません。      

2018年 お盆に

 

2014年

9月

06日

スタッフブログ更新休止のお知らせ

生と死を考える会スタッフブログにご訪問いただき誠にありがとうございます。

諸般の事情により、生と死を考える会のブログを休止させていただいております。
会の詳細につきましては公式サイトをご覧ください。

2014年

7月

31日

命日と友と

7月になると、友からぼちぼちメールが来ます。

「お元気ですか、久しぶりにランチでも」という間接的なもの

「お参りに伺いたいのですが」という直接的なもの

 

7月にはお盆もあるし、月末近くには息子の命日が控えているのです。

 

昨年2013年の7月が、このブログに参加して初めての命日でした。

昨年、こうして連絡をくれた友人らにこのブログを紹介しました。

「大切な人を亡くした仲間たちと交代で書いています。よかったらご覧ください」と。

 

1年たち、今年、そのブログについての感想をよせてくれた友人が何人かいました。

「時々拝見しています」

「心のうち、気持ち、など今まで私が知りえなかったことが描かれており、初めて

知ることでした」

「これからも時々読ませていただきます」

私の歳ですから、親を亡くした友は何人もいます。

亡き子への思いは「想像することしかできない辛さ」だけれど

親についてのブログには「共感するところがある」と。

自身でも、仲間とブログ発信している友は「こういう場があるのはいいね」と

言ってくれました。

 

今年の命日の朝、娘とお墓詣りに行きました。

そこへちょうど友人からメールが入りました。娘の幼稚園時代の友人、息子の1~2歳を

知っている友からです。

 

  ××ちゃんはいつも、あどけない表情で周りをじっと見てたよね。

  今でも、きょとんとした目で空から見てるのかな。

    (中略)

  小さいままの××ちゃんスマイルで、なんだか天使みたいだと思います。

 

  ○○ちゃん(娘のこと)がしあわせでたのしい気持ちで、毎日を過ごせますように。

  △△さん(私のこと)、だんだんと心穏やかな時間が増えていきますように。

 

素直にうれしかった。涙がでました。

子どもの命日を迎えた友にどうやって声をかけよう、どう受けとめるだろう、

本当に言葉を選ぶし、気も遣う、考えただけで気が重い作業だと思います。

「いい言葉が見つからなくてごめんなさい」とメールをくれた友

メッセージカードなしで花やお菓子を送ってくれる友ら

気持ちは十分に伝わります。

本当にありがとうございます。

こんな友らに支えられて、ようやっと生きていけるのだなぁ としみじみ感じました。

 

友人の子どもの命日なんて覚えていないのが普通です。

夏だったなぁくらいは覚えていても、どうしたらよいかわからなくて、触れないことを

良しとする人が殆どです。

また、お参りに行ったり、息子の話題を出すことで、私が前を向くのに邪魔なのでは…

と私を気遣うがゆえに連絡してこない友もいます。

子どもを亡くすなんて、想像すらしたくないですし、

(ほんと、恐ろしいから想像しないでください)

こんな気をつかう相手に連絡するのも面倒ですからね。

それはそれで仕方のないことだと思っています。

 

人それぞれ、同じように子どもを亡くした方々でも悲しみのあり方は色々で、

周りの人たちにどうして欲しいかも様々です。答えは一つではないし、何が正しい答え

なのかも、人により、時によるのですから。

 

私にとっては、友が話題にだそうが出すまいが、息子を思い出すことをやめることは

ないでしょう。息子がいなかったことにはできません。

息子のことで悲しくなったり辛くなるのは当たり前。でも楽しい思い出もたくさんある。

だから、たまには息子のことを一緒に思い出してくれる友がいたら、息子が生きていた証に

なるようで、とてもありがたいし、うれしいな、と思うのです。

 

3.11をはじめ、数々の被災者の方々が「忘れないで」と呼びかけているのも

こんな気持ちもあるのではないか、と思っています。

 

そんな親の気持ちの一例として、このブログを通して、

(私の友だけでなく)PCの向こう側で読んでくださる多くの方々に、

伝えていけるものがあるとよいな、と思っています。

 

空色

 

2014年

7月

13日

迎え火・送り火

 

今日は713日夕方に亡くなった霊が迷わずに

帰ってこられるように迎え火を焚く日ですね。

仏壇の前に精霊さまをお迎えするために

いろいろなものをお供えします。

きゅうりで作った馬は早く来れますように、

おナスで作った牛はゆっくり帰るようにとのことですが、昔から亡くなった人への想いはあまり変わらないんですね。

館山出身の夫は、迎え火や送り火を焚く時、お小皿にお米、小鉢に水を用意して(みそはぎの花を懐紙で縛ってお水をつけ)迎え火のおがらに火をつけると「お水飲み飲み早くおいで、お米食べ食べ早くおいで」送り火の火をつけると「お水飲み飲み、お米食べ食べ帰って、また来年おいで」と言っています。

初めの内いろんな思いがわき上がって怒りたい気持ちになりましたが、子どものころからお母さんと一緒に迎え火送り火を焚くそばにいて深い意味も考えずにお盆供養の1つとして身体に沁みこんでいて、自然に口から出るのだとわかるようになりました。

今では亡くなった家族やご先祖を供養し、亡くなられた人をしのぶ行事として素直に受け入れられるようになりました。

                          朱鷺色

 

2014年

7月

08日

気持ちがかなり疲れてしまったときは、すべてを振り切って、ひとり旅に出ることにしています。

気持ちがやや疲れたときには、やるべき事をぶん投げて日帰り温泉に行くことにしています。


自分の中のイエローカード。

日帰り温泉逃避を決行しました。
色々なことを根を詰めて考えすぎたので、脳みそがぱつぱつ、カチンカチンになっている感じがしたのです。
当然肩も腰もバリバリです。

 

もう一時間だってパソコンの前に座っていたくない!

自分の気持ちやからだを緩めなきゃ良いアイディアなんて出てこないと感じました。

そういう時は逃げるが勝ちです(笑)

 

一人用の露天風呂に足と頭をひっかけ仰向けになり、脱力しながらぼーっと空を眺めていました。

台風接近のため、空は一面どんよりした曇に覆われています。

時折ポツポツと小雨が顔に当たります。

流れゆく雲の様を見つめていると、失われつつある時間に少し不安を感じました。

1分1秒たりとも過去の時間には戻れない自分。

今こうしている間にも時間を消費してしまっています。

このままでいいのか?

今より生産的なことをしなくちゃいけない?

改善するところはどこ?
何をしたらいい?

 

流れる雲の切れ間から、時折太陽が顔を出します。
隠されても、隠されても、太陽は顔を出し、顔を出した瞬間に、その光がわたしを包み込みます。

グレーの曇った空に一筋の光。

何だか神々しい。


太陽の光はなんと私の目にハート形の残像を見せてくれました。
一番だいじなのは「こころ」だよと言われているようでした。

自分の気持ちが柔らかくなることをしたい。

 

風呂上がりに休憩所でビールを飲みながら、ニュースから流れる号泣する議員の映像を見ていました。

斜め前のテーブルに座るおばさまと目が合い、思わずニヤリ。

 

器用に世渡りする必要なんか無いのかもしれません。

回り道をしたとしても、嘘をつかずに、ごまかさずに、自分らしく。

さて、がんばって仕事をしようと思います。

 

雲の向こうは、いつも青空。

 

水浅葱

2014年

7月

04日

盆提灯

7月になりました。 東京はお盆です。

時期としては7月13日からですが、

7月に入ると、盆提灯を飾らなくては、と気が急きます。

年に一度、亡くなった人が帰ってくるのですから、

早く準備しなくちゃ、と思ってしまうのです。

 

特にうちの息子はまだ小さいものですから(生きていたら9歳です)迷子にならないように、

 うちはここだよ、早く帰っておいで、

 13日まで待たなくていいよ、

と、窓辺に提灯を飾ります。

 

息子が亡くなったのは7月末でしたので、新盆は約1年後でした。

夢遊病者のように、仏壇屋街を隅から隅まで1軒づつ見て回りました。

息子にいい提灯を買ってあげなくては…

あの子にはどんなのがいいのだろうか?

   

なぜ、おもちゃや洋服ではなくて、こんなものを求めて歩き回っているのだろう

 

享年2歳のあの子にあう盆提灯なんて見つけられなくて…

 

どうにか一つ買い求めました。

 

何か足りない気がして、数日後、またあの通りを歩き廻り

青い光が灯る回転灯籠を買いました。

 

満足したわけではないけれど、

それでも何かをあの子に買ってやれる

その思いだけで どうにか買うことができました。

 

新盆用の白い提灯はあまりに悲しくて買う気になれず、

ネット注文…

 

あれから7年

じいじに連れられなくても

息子はそろそろ一人で帰ってこれるでしょうか?

 

空色

2014年

6月

28日

大切な思い出

こんにちは。最近は天気の不安的な日が続きますね・・・。

 

さて、今日のお題は「大切な思い出」です。

今月、分かち合いに参加する前にある出来事がありました。

その日は午後に神保町で用事があり、分かち合いが始まる前に時間があったので、神保町から会場の会館まで歩くことにしました。

 

神保町から御茶ノ水の方に歩いていく方向には「古本屋さん」が軒を重ねています。

そしてある道を歩いている時、まるでタイムスリップしたかのように、昔の記憶と感覚が鮮明に蘇りました。

大学生の時、神保町の古本屋を大切な相手とハシゴして・・・・それは僕にとって「人生の中で一番幸せな時期の何気ない出来事」の1つでした。

 

僕にとって今回、神保町を歩くということは偶然であり、でも、本当は必然だったように思います。それは神保町に行けばその時の出来事を思い出すのは分かっていたし、だからこそ、これまでその場を訪れるのが怖かったのかもしれません。自分がどうなってしまうか分からない怖さに。

 

もちろん今回、歩くのもそういった不安はありましたし、神保町の駅から歩き出す時は、すごく勇気がいり、心の葛藤がありました。でも、自分の中で「もうそろそろ歩いてもいんじゃないか」と思った、それが僕の背中を押した素直な気持ちだったのかもしれません。

 

時間が止まったように感じた瞬間、その時の風景や雰囲気、匂い・・・そして大切な人の笑顔が、そこにありました。

 

確かに、思い出の場所を訪れることは不安であり勇気がいります。思い出の場所を訪れると懐かしいと感じると同時に、その人がいない悲しみと喪失感に押しつぶされるかもしれません。

 

僕も今回、まったく辛い気持ちにならなかったといったら、正直そういう気持ちにもなりました。でもそれと同時に、心が暖かくなったのも事実です。

 

「あの時にあのお店に一緒に行って、あんな会話をした・・・大切な人の笑顔」

それはやっぱり、自分にとって「大切な思い出」であり、「宝物」に思います。

 

(緑)

 

 

2014年

6月

22日

つむぎ茶論

 

つむぎ茶論のご紹介

 

 日時:第2土曜日14時~17

 場所:東京YWCA会館2214号室   生と死を考える会事務所

        

疲れを知らない科学技術の進歩の只中で、取り残され、埋没されつつある個々のいのちを思う昨今です。  

 今、私たちが生きているいのちを思い「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか」などにつて、お茶を飲みながら、お菓子を頂きながら語り合う文化を醸成していくことを目指している茶論です。

来るべき「人生90年の時代」を最期まで自分らしく生きることができる「良き生・良き死」についての理解を紡ぎ合いながら深めていきたいと考えています。

 

毎回、いのちに関する最近の話題からのテーマを導入部として、資料とともに話題を提供していただきます。

その共有したテーマについて参加者で話し合い、各自持ち寄った日頃の関心事を紹介していただいて話の花を咲かせています。

心尽くしのお菓子とお茶を頂きながら、様々な年齢の方と深い体験談

問題意識、世代の違いや歴史の繰り返しなどなど盛りだくさんの話題で

文字通り、茶論のひと時を過ごしています。

 皆さまも是非、ご参加いただければ幸いです。

 

つむぎ茶論スタッフ一同

 

2014年

6月

04日

許すということ

許す
今、このかくも難しき課題に取り組んでいます。

「許す」というと「他の誰かのことを、自分が許す」ことと思われがちなのですが、そうではなくて「自分で自分を許す」ということです。

許すは 「緩(ゆる)める」に通じているそうですが、許せない事や許せない人、許せない出来事に出会うと、人はからだが硬直し、呼吸が浅くなり、緊張した状態が続いてしまうそうです。

緊張した状態は、思考の偏りを生み、そうに違いないという思い込みにつながり、視野を狭くしてしまいます。
その結果、一生懸命がんばっても、良い成果につながらないという負のスパイラルに陥ってしまうようです。

実は、その「許せない」を掘って行くと、根っこには「自分を許せない自分」が見つかります。

自分を許せない自分の周りには、人を許せない人、人への評価の厳しい人が集まって来る「類は友を呼ぶ」という法則により、「許せない」コト・ヒトが目の前に次から次へと現れてしまうのだとか。


これは何とも残念なことです。

それでは、自分はおろか、誰のこともしあわせにできません。

誰かを許せないと感じたとき、まずは「自分は自分を許しているか?」を疑ってみることが必要なのかもしれません。


まずは「自分を許す」ことから始めてみる。
誰かを許せない感情を、どうしても手放せないときは
そんな持て余してしまうような感情を持ってしまう「自分を許す」こと。

怒りを感じてしまう「自分を許す」こと。


どこまで行っても「自分を許す」こと。
このどこまで行っても「許す」が、案外難しいものなのです。

やってみるとわかります。
簡単にはできないです。
「許す」を常識や理性、大人の分別で解決しようと思うと、ことごとく失敗してしまいます。

では、どうしたら「許す」ことができるのでしょうか?
まだ道半ばな私ですが、もう、念仏のように「自分を許す」と繰り返して言ってみる。
ただひたすらに条件をつけずに「自分を許す」。

そうやってジタバタしているうちに、「許せない自分」と「許された自分」の線引きが曖昧になってゆき、脳が「あれ?もしかしたら、許せちゃってるかも。」と騙されるときがくる。


お肌のターンオーバーもほぼひと月。
「自分を許す」をひと月続けると、こころとあたまが柔らかくなってくるようです。

まずは諦めずに「1ヶ月」。

おなかが空いてきました。
高カロリーのラーメンに、餃子を追加オーダーしてしまう自分を許したいと思います。

水浅葱

2014年

5月

29日

誕生日に

本人がいなくなって26回目のお誕生日。
このところ、いろいろなことが重なって気が沈んでいたのですが、1週間前頃から何かにつけて涙がでて困ったなーと。お誕生日は朝から泣いてばかり、教会に行こう!

水曜日は教会に行くと友達が言っていたのを思い出して電話を掛け、「聖書研究と祈祷会」に参加させて頂きました。聖書研究では使徒言行録を読み砕いてくださり、その後一人一人がお祈りの言葉を言われたのですが、私は感謝の言葉を申しあげたのですが泣いている時間が長くなりました。

今日はお誕生日で・・・・と言ったので皆さんがみまもりを祈ってくださいました。

終わった後近くにある17階の天上レストランでランチまでご馳走になりました。

家に帰り「お誕生日に」と下さったお花がやさしいピンクのしゃくやく、着ることのできなかった振袖の牡丹の模様によく似た色合いでうれしかった!

夜にはみんなでバースディーケーキも頂きました。

一日が終わってみたら、心ゆくまでお誕生日の一日を過ごせたことに

感謝。

 

朱鷺色

2014年

5月

23日

父の命日に

 昨日は父の命日でした。

父のお墓は、息子のお墓と同じ霊園のお堂の中にあります。

いつもと同じように先に息子のところに寄ってから父の方へ行きます。

息子のところに週に2回は行くので、父のところにも寄り、お花は常にたやさないようにしています。父は、孫のおかげでとはいえ、こんな親不孝の娘がまめにお参りに来るなんて、あちらで驚いていることでしょう。

お墓に行くと、紅茶とお菓子が備えてあり母が来た形跡がありました。

お堂ではお供えものの食べ物はそのままにせず、持ち帰るきまりになっていますが、母はいつも置いて帰ります。私はいつもそれを持ち帰り、娘のおやつに出します。

「じいちゃんから」と言って。

父は、あの年代の男性にはよくあるように、仕事一途の人でした。土日も仕事でしたから、私には遊んでもらった記憶も、家族旅行の記憶も殆どありません。

でも、私が高齢出産だったおかげで、娘が生まれた時には、父は仕事を引退していましたので、孫とは遊んでくれました。娘にはその記憶があります。じいちゃんからのお菓子も紅茶も喜んでいただきます。

 

 父が癌で闘病中、母は不安がって毎週来てほしいと電話をよこしていましたが、めんどくさがりで薄情な娘であった私は、2週間に1度、3週間に1度も通ったでしょうか。。。

2年くらいと言われていたのに、ほんの数か月の闘病生活で逝ってしまいました。亡くなった時、悲しいのはもちろんでしたが、申し訳なさとうしろめたさが勝っていたように思います。

 

 父が亡くなった後の色々なことの中で、妹がいてよかった、と思いました。と、同時に親を亡くした時に一人で何もかも背負わなくて済むように、娘にも兄弟を作ってあげたいと心から思いました。すでに娘は4歳になっており、もちろん、それまでも子供はほしいと思っていましたが、なかなか叶いませんでした。

 父の死後、3か月で息子を授かりました。

ああ、父が授けてくれたんだな、と思いました。

しかしすぐに壮絶なつわりが始まり、吐くとき時以外は寝たきりという生活が3か月。

食べることはもちろん、あまりの苦しさに眠ることもできませんでした。衰弱しているのでとろとろとまどろむのですが、吐き気と苦しさですぐ目がさめます。朦朧とした意識の中で、父の病気での痛みや苦しみはこんなものだったのだろうか、抗がん剤の副作用ってこんなものなのだろうか、などと考えていました。お父さん、薄情な娘でごめんなさい、と。

 

 息子がまだたった2歳で逝ってしまった時に、父が、義父があちらにいることが、どんなに

心強かったでしょう。義父や父には申し訳ないですが、先に逝っててくれてありがとう、と。

 

父の命日にそんなことを思い出していました。

 

空色

 

 

 

2014年

5月

10日

姉妹

 

新緑の美しい季節になりましたね。先日明治神宮に行く機会がありました。
大正9年(1920年)に全国から献木された10万本の木であのような森が出来たことに驚きと希望がわいてきました。本殿に行くまでの歩みはまるで森林浴!

フィットンチッドの作用で身も心もリフレッシュしてストレスをやわらげていただきました。

 私の元家族は8人だったのに今では姉一人しか逢うことができません。

5歳年長の姉なのですが多分、感性、興味、好みが違うのか幼い頃から違和感がありました。

結婚してからそれぞれの家庭ができ、よく会ってはいたし、おしゃべりもしたのですが、別れた後そこで話したあれこれを思い出して余韻に包まれることはあまりなかったのです。

 5年前からたった二人になってしまいもうあまり逢わないのかなーと思っていたのですが

時々用事もあり年に2,3回は逢います。

 

先日逢ったときに連れて行ってくれたお店で私がいただいたランチ「漬け丼」(左)です。

姉は「サーモンドン」(右)をいただきました。

 

おしゃれでそして美味しかったです。お醤油にこだわっていると姉が言っていましたが

お盆上にも店内も心くばりが感じられました。

この前に連れて行ってくれたお店も、水元公園の近くの「洋凡料理」のお店で洋食屋さんでしたが「エンゼルのカレー」という名前もうれしく、お味もおいしく、お店のたたずまいも素敵でした。

そのとき姉が「・・・・ちゃんが気にいってくれると思ったの」と私を思ってお店を選んでくれたことがわかってうれしかったです。

 いやだったことばかり考えないで、逢うたびにうれしかったこと話すことにしよう!

姉の新婚旅行のお土産は、博多織の伊達巻でしたが普通の伊達巻の半分の幅で使い勝手がとてもよく今でもお気に入りで使っています。

私が新婚旅行から帰ってきたときは花瓶のありかが分からなかったのでしょう、お風呂の汲み出し桶に入れたお花を飾っていてくれました。

こうしてみると姉からいっぱいいっぱい恩恵を受けていました。

今は逢えない6人の元家族の話は姉と話すのが一番楽しく、話がはずみます。

話すことが出来ることはありがたく感謝です。

 今度は何をご馳走してくれるのでしょうか?

                   朱鷺色

2014年

5月

01日

GWの中日に思うこと

こんにちは~、緑レンジャーです。

 

今日のお題は「GWの中日に思うこと」です。

 

GWは前半、後半といった言い方をすることが多いかと思いますが、今年は今週の月、水、木と平日ということもあり、GW前半・後半といった言い方がピンときません。

 

実際、僕の場合も通常通りの出勤ですので、毎日の満員電車も人の多さにはさほど変わりないようにも思います。

 

GWの連休が長い人、短い人、また仕事柄GWが関係ない方やさらに忙しくなる人、家事が増える人等々・・・

また、GWの過ごし方も、どこかに出かける人、家でゆっくり過ごす人、仕事や様々な活動をされる人等々・・・皆違うでしょう。

 

今年は旅行の予定もないので、3日からの連休をどうしたものかと迷走中ですが、良いGWを過ごせたらと思っています。

 

皆さんにとっても良いGWでありますように。

 

(緑)

2014年

4月

18日

誕生日に

偶然ですが、今日4月18日は私の誕生日です。
そして、アインシュタインが亡くなった日です。
生まれた日と亡くなった日が同じという偶然で、なにげにアインシュタインさんには親近感を感じています(笑)

アインシュタインは、"人生とは自転車のようなものだ。倒れないようにするには、走り続けなければならない。"と言いました。

私はと言えば人には堂々と言えないくらいの年月を、まったく人様とは違う非スタンダードなやり方で自転車を走らせて来てしまいました。
正直、今の今まで自分の年を忘れていたのです。
親友からのメッセージで現実を目の当たりにし、自分でびっくりしてしまいました(笑)

さて、少し前にSWITCH(スイッチ)という自主上映映画の試写会に行ってきました。
遺伝子の研究をされている筑波大学の名誉教授、村上和雄博士の映画です。

【注意事項】
下記のSWITCHの予告編には、JR福知山線の脱線事故の映像が流れます。
お気持ちが揺れてしまいそうな方は、ご覧にならないようにしていただければ幸いです。

この映画はこの世に生まれてきたことの不思議と、人の持つ可能性について考えさせられた映画です。
私たちのDNAは32億の階段があり、1ページが1000字で、1000ページ分の百科事典3200冊に相当する情報を持っているのだそうです。

たった1個の細胞が生まれるために、1億円の宝くじが連続100万回当選するほどの偶然が重ならなければならないのだと聞いたとき、心から自分のからだに「ありがたいなぁ」という気持ちがわき起こってきました。

日々足りないものを数え上げ、ダメなところを見つけ、自分自身にダメ出ししていた自分は、何と愚かだったのでしょう。

私が「わたし」としてこの世に生を受けてから、毎日休む事なくからだのすべてが、繰り返し規則的に動いてくれていることの奇跡。
そこに思いを馳せたとき、ありのままで、今のままで、自分はすべて満たされている存在なのだと考えられるようになりました。

しかも、遺伝子にはまだまだ解明されていない謎があり、何かの拍子に自分の遺伝子のスイッチがONになったとき、人は予想もつかないチカラを発揮することが出来るのだとか。

目の前に起きる出来事のひとつひとつは、もしかしたら自分の遺伝子のスイッチを押すために起きているのかもしれません。

今「これは、自分史上最悪の出来事だ!」と感じているそのことさえも、
ぐぅの音も出ないほど、人生に痛めつけられたときも、
その先に少し歩みを進めたとき、「あぁ、あのときのあの体験が、自分の使命に気づかせてくれ、遺伝子のスイッチがONになった瞬間だったのだ。」とわかる日が来るのかもしれません。

チャールズ・シュルツが"人生は、10段変速の自転車のようなもの。
だれもが、自分がもっているものの大半は使っていないのです。"と言っています。

今日はわたしが生まれた日。
人にはことばに出して言える「ありがとう」を、素直に自分自身にも言ってあげたいと思います。

そして自分のSWITCHをONにして、10段変速を使いこなせるようになりたいと願います。

SWITCHは全国で自主開催されているようです。
詳細はSWITCH サンマーク出版のホームページでご確認いただけます。

 

水浅葱

 

2014年

4月

11日

雲の上の菩薩様

 この春、京都・宇治の平等院鳳凰堂の平成の大修繕がほぼ終わり、公開が始まっていたので行ってきました。

本堂(鳳凰堂中堂母屋)の長押の上には52体もの雲中供養菩薩像が懸け並べられています。

飛雲に乗った菩薩様たちです。

亡くなる人を迎えに来てくれるのです。

今は1000年もたちすっかり色あせてしまい、すっかり渋い菩薩さまになっていますが、院内のミュージアムではCG再現された制作当時の色彩のままの菩薩像が見れるようになっています。

白い雲に乗った色とりどりで鮮やかな菩薩様たちが楽器を演奏し、舞い、合掌し、にぎやかにお迎えに来て、また天上へとにぎにぎしく導いていってくださる様が浮き彫りになっています。

 

 当時、1052年は仏教でいう末法初年、世が乱れ、死がとても恐れられており、平等院は理想のあの世を想い作られたそうです。

 

 私は今まで、人があの世に召されるときは、何となく、静かに上っていくイメージがあったのですが、これなら、亡くなったあの子も天上へあがる時に怖くなく、楽しく上っていけたのではないかなぁ、と思いました。

 

(仏教的にはもっと深いものがあるのかもしれませんが、私は仏教に詳しくないので、

観光知識として仕入れたもので、書いております。ご了承ください。)

 

(空色)

 

 

2014年

4月

07日

ドラマのセリフ

空色です

 

新年度が始まりました。

今日は青空の広がるいい天気です。

 

「雲ひとつない青空」という表現があります。

 

 先日、テレビドラマの中で、自らの心の内をあらわすのに、この表現が使われていました。

前科のある主人公が、罪を背負って生きていく自分には「雲ひとつない青空」のような曇りのない明るい気持ちになることはもうないのだろう、という場面でした。

状況は違いますが、思わず自分の心境と重ね合わせてしまいました。

 子供を亡くすという、それこそテレビや小説の中のできごとかと思っていたとんでもない不幸が自らの身におこってしまってからは、どんなに楽しいことがあっても、どんなにきれいな景色を見ても、心の底から楽しんだり感動したりといった「雲ひとつない青空」のような気持ちにはなれません。心に常に冷たくて重いものを抱えています。

 

 ドラマの中では、こんなふうに続きます。

  「雲ひとつない青空」は望めなくても、雨のあとは晴れるし、雨の時に傘をさしかけて

  くれる人もいる。

 

 数年たって、私も心の底から笑顔にはなれなくても、笑うことはできるようになりました。

雲ひとつない青空より、雲があったほうがあの子が雲の上にいるような気がするので雲のある空の方が好きになりました。

 

 

先月の朝ドラのセリフ

 「こどもを亡くすゆうんは、1年やそこら泣き暮らしてもどないもなりまへんで。

 慣れるのに10年20年、人によっては一生かかります。それは覚悟しといたほうがよろし」

 

 まさにその通り。

この悲しみとは一生つきあう覚悟はしています。

こどもを亡くしたことに慣れたくない、そんな心の抵抗もあるのかもしれません。

 

 

最後にBSのドラマより

 花火大会の宣伝で    お盆の花火は大きな迎え火です

 

 こどもが亡くなる前の晩、一緒に花火をやろうと思ったのに、あの子は早々に寝てしまい花火ができませんでした。まだまだ何度でも一緒にやるチャンスがあると思っていたのに。

 こどもを亡くした翌年の夏、マンションの方々が花火をやろう、と集まっていました。

思わず「うちが花火すると迎え火になっちゃうから」と断り、家にこもっていたこともありました。

 こどもが亡くなる前にどこかの河川敷の花火大会には連れて行ったことがあります。まだ赤ちゃんだったから覚えてはいないでしょうが。

 大切な人を亡くした者にとって、花火が迎え火に思えてしまうのは、よくあることなのかもしれません。だからお盆のころに花火大会が多いのでしょうか。

 

 こんなふうに、ドラマを見ながら、何かのセリフが心に引っかかり、ドラマどころではなくなってしまうこの頃です。

 

(空色)

2014年

3月

29日

事務局にて

先週の金曜日は春分の日で祝日だったので久しぶりの事務局でした
 
引っ越して一ヶ月がたちましたが、「あれはどこ?」が多く探し物ばかりしています。
 
せっかくポットにお湯を沸かしてくれたのに、冷たいお茶が欲しくなるような陽気で桜も2,3日内には満開になりそうです。
 
花に芳香のある匂い桜の代表品種である「駿河台匂」が神田駿河台3丁目に17本植えられており事務所から歩いていけそうなので、今年は是非行きたい!
 
会館に入ってから214号室に来るまでの道順を貼る場所等を会館の担当者と打ち合わせができました。よかった!
会館の中で来てくださる方が迷わないような標識をと思いをこめています。
 
金曜日の事務局

2014年

3月

23日

庭の深雪

6月からの開業に向けて準備中

の白馬村のペンションに行って

きました。まだまだ雪はたくさん

残っていて、この写真は物置の

屋根に積もった雪です。

「ペンションのオーナー(木村さん)は福島県大熊町出身で、大震災の津波のため父、妻、二女を亡くされ、家は全て流されました。

そして原発事故のため、3人を捜しだせないまま、町を離れなければならず・・・」 

反原発運動ではなく、必要以上の電気などのエネルギー消費をしていた生活を見直したワークショップを企画するペンション経営を準備されていらっしゃいます。 

 両親、そして娘二人を持つ木村さんご夫婦の6人家族が半分の3人になり、お母様はまったく知人のいないところで住まうことに自信がないと、今までの住まいから遠く離れた会津の仮設住宅でお一人暮らし。木村さんと長女の中学1年生、雌犬のドーベルマンの「ベル」と小型犬(ミニチュアダックスフンドとチワワのハーフ)の「ミミ」と白馬村で・・・・。 

思春期に入った13歳の娘さんの心の内は分かるはずもないのですが、表面は屈託の無い明るく素直に育っていらして3.11までの家庭がしのばれるお嬢さんでした。

 

朝ご飯の後「アイスクリーム

食べる?」と言ってキッチンに

行き、イチゴをトッピングした

このおしゃれないちごアイスを

出して頂きました。

 

キッチンでのひとりの作業に

調理師でいらしたお母さまと妹さんが、きっと寄り添っていたように感じたのですが如何でしょうか。

 

朱鷺色

 

2014年

3月

18日

亡き人は年をとるのか?

 

今日は、僕の誕生日です。
 
人はこの世に生きている間は、毎年、年を重ね、見た目も変化するでしょう。
 
小さい頃、10代の頃、大学生の頃・・・。
 
しかし、今は亡きその人は、亡くなった日からずっと同じ年齢です。
 
仮に死後の世界があって、自分が向こうにいった時、自分は年齢を重ねてた姿だが、その人は旅立ったその時の容姿なのかな? と考えるかもしれません。
 
その人がもし生きていたのなら、どのような姿なのかと想像するのですが、浮かびません・・・・でも、旅立った時の姿はイメージできます。
 
そんな亡き人の顔をイメージすると、そこには笑顔があります。
 
きっと天国から笑顔で誕生日を祝ってくれていると思います。
 
(緑)

 

2014年

3月

07日

たんぽぽのわたげ

たんぽぽのわたげ

冷たい雨が降る3月。

2月から、体調不良や、トラブル続きで、かなり落ち込みました。

気持ちに余裕がまったくなく、「ほんとに参ったなぁ…」と思いながら、ふーっと息をついて空をあおぎ見たりしています。
なんだか、神様に試されてるなぁ…このごろ(笑)

本当に煮詰まってしまったとき、私はふらりと旅にでることにしています。

いったん問題と距離を置き、遠くからものごとを眺めることで、新しい視点が見えてくるからです。

30代の頃、ひと月ほどイギリスの田舎町を旅して歩きました。

1時間に1本しか来ない電車を待つ駅で、ひとりベンチに座っていると、空にたくさんのたんぽぽのわたげが飛んでいることに気づきました。

 

日本ではあり得ないほどのわたげが、空中にふわり、ふわりと浮遊しています。
手のひらを空に向けると、ふわりと着地するわたげ。

息を吹きかけ、また空へと返しました。

私もこのたんぽぽと一緒かもしれない。
着地する場所(居場所)を探すために、今自由に飛び回っているんだ。

そんなふうに感じていた30代の春です。

 

車窓から眺めた、森に群生する紫色のムスカリの花や、ぴょんぴょん跳ねる茶色い野うさぎたち。

そのひとつひとつは、とてもちっぽけなものですが、役目を精一杯果たしながら生きている。

厳しい冬は必ず終わり、春は必ず巡ってくるのだと自然が教えてくれていました。

 

3月は別名
ゆめみづき(夢見月)

夢を形にかえてくための準備期間。


そろそろ旅に出てみようか。

次の一歩を踏み出す勇気をもらうため。

 

水浅葱

水浅葱おススメ・今日も良い日にしてくれる一曲

『瞳を閉じれば あなたが
まぶたのうらに いることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私も そうでありたい』

 

レミオロメン 3月9日 より

2014年

3月

05日

新事務所への行き方

御茶ノ水の新しい事務所への行き方です。

 

1)JR御茶ノ水駅から楽器店が並ぶ明大通りを下って行き

杏雲堂病院の先、「甲賀通り」を左折するとYWCAの

看板が見えます。車寄せの奥が入り口です。

 ↓

2)正面の大きいガラス扉から入ります。右のオフィス入口

ではありません。1階ホールの右奥に階段が見えます。

階段をあがると喫煙所にもなっている中庭が正面ガラス越し

に広がり開放的な雰囲気です。さらに右手奥の階段を上がり

ます。(ここで直進して左の階段に行きそうになりますが、

後方・右の奥の階段です。)

 ↓

3)階段を上ったら右へ。廊下の途中、左側の214号室が生と死を考える会の事務所です。

 

エレベーターご利用の方は、玄関入って左手にあります。2階で降りたら、左前の狭い円形の通路をぐるりと来ると事務所前の廊下に出ます。左前に214号室があります。

2月24日の夕方から始まった荷物の搬入でしたが、お手伝いに駆けつけてくださった方々のご尽力でその日のうちに大方の段ボールが空きました。

まだ移転に伴う仕事は色々残っていますが、ぼちぼち片付けていきます。

しばらくはご不便をかけることもあるかと思いますが、ご了承ください。

 

この事務所移転の機会に久しぶりに会に顔を出した、という方が

何人もいらっしゃいました。

会を離れていた方々にも、新しい方にも、心の重荷をおろせる

場でありたいと願っています。

新しい事務所でもどうぞよろしくお願い致します。

 

事務局

2014年

2月

28日

誕生日に

今日は息子の誕生日です。

9年前の今日、予定日よりも3週間早く生まれました。

逆子だったので、早めに帝王切開の予約をしていましたが

手術予定日よりも4日早く陣痛が来てしまいました。

お姉ちゃんの幼稚園の学芸会の翌日でしたので学芸会まで

お腹から出ないで待っていてくれて、お姉ちゃん思いの

いい弟だね、と皆で言っていたものです。

緊急手術だったので、主人も母も義母も間に合いませんでした。

生まれたばかりの息子に最初に会ったのは娘でした。

そして、付き添ってくれた友人も、身内じゃないのに、と恐縮しながらも分娩室で息子に会ってくれて、生まれたての赤ちゃんに会うなんてめったにない、孫みたい!?と感動してくれました。

手術予定日は大雪でしたので、本当に周りのことを考えて生まれてきてくれた子でした。

そんなこんなを、「君が生まれてきた時はね・・・」と話してあげる相手はもういません。

生きていたら、笑い話として皆でよく話題にしただろうに、いなくなってしまったら、こんな

エピソードを語るチャンスもありません。

数少ない息子との思い出を語る場を与えて下ったことに感謝いたします。

 

一昨日、トイ××スに息子の誕生日プレゼントを買いに行きました。

3年生の男の子はどんなものが好きなのでしょう?さっぱりわかりません。

店の中をぐるぐる何度もまわり、何とかONE PIECEのプラモデルを買いました。

一緒に選びたかった。

生きてる時にもっと連れてきてあげれば良かった。

色々な思いが頭を駆け巡ります。

このプラモデルは、しばらくしたら娘が組み立てるそうです。

生きていたら、きっと一緒に作ったことと思います。喧嘩しながらだろうけど。

詩人の高階杞一さんの詩です

 

 

「ジョーシン、バンバン、ダイエー」

 

ジョーシン、バンバン、ダイエー

というのがこどもの口癖だった

 

(中略)

 

バンバンはおもちゃの専門店

ジョーシンは大型家電販売店

ダイエーはスーパー

それぞれにおもちゃを並べたコーナーがある

ミニカーが大好きで

どこに行ってもまずそれの置いてある場所へ行く

 

(中略)

 

ジョーシン、バンバン、ダイエー

 

その口癖を思い出しながら

ぼくは

もう誰の目にも見えなくなったこどもを連れて

時折

ジョーシン、バンバン、ダイエーに行く

こどもはすぐにミニカーの方にかけていく

どれがいい?

聞きながら くるまを選び

レジに持っていく

店員には

こどもが家で待っている

みたいな顔をして

 

(詩集「早く家へ帰りたい」高階杞一 夏葉社 より)

 

高階さんの息子さんは4歳で亡くなりました。

うちは2歳でした。電車と動物が大好きでした。

この詩を思い出し、プレゼントは電車の方がよかったかな、とちょっぴり思ったりしました。

 「どれがいい?」

聞いても 私に息子の声は聞こえませんでした。

でも、つい先ほど、このブログを打っている時、玄関のチャイムがなりました。

玄関を開けたけれど、誰もいません。

息子の合図かな、

そう思いました。

 

空色

 

 

2014年

2月

22日

雪の日に

このところ週末ごとの大雪で大変でしたね。

先週14日金曜は朝からの雪でしたので、

昼過ぎに信濃町の事務所に向かう頃、電車は

すでに遅れがでており、お昼で帰宅となった

中高生らがたくさん乗っていました。

 

そんな中「分かち合い」は参加者ほとんど

いないだろうなと思っていましたらさに非ず、

10人もの方が参加されました。

参加者のおひとりの方の

「雪が降って電車が遅れようが、家に帰れなくなろうが、子供を亡くしたことに比べればたいしたことではない」

との発言に妙に納得してしまう皆様でした。

 

1週間たった信濃町の真生会館のまわりにもまだ雪がたくさん残っています。

週明け24日(月)に事務所は引っ越しをします。

引越が決まり、この一か月、本当に大勢の皆様に引越準備のお手伝いをいただきました。

土曜日は分かち合いがあり、日曜日は会館の関係で作業ができず、平日昼間ばかりの作業でしたので女性の方々(平均年齢高め!?)が多く来てくださいました。

家庭で頼れるはずの伴侶やご子息を亡くして、好むと好まざるとを得ず、強くならざるを得なかった皆様のお力、優しさ、お心遣いをいただきました。

ありがとうございました。

 

2月14日にはまだ荷物はこの程度でしたが、今(22日)は段ボールだらけです。

この事務所での最後の分かち合いが今日ありますが、段ボールに囲まれての会になりますこと

ご理解いただけたら幸いです。

 

初めて事務所を訪れた時、大切な人を失った悲しみと絶望に打ちひしがれ、やっとの思いで

ここにたどり着いた方々も多かったことと思います。

そんな我々の思いを包んでくれた真生会館ともお別れです。

3月からは御茶ノ水のYWCA会館214号室で活動開始です。

YWCA会館の入口を入ったら正面の階段をのぼり、さらに右にあがり、廊下を右に進むと

214号室があります。

新しい事務所は少し狭くなりますが、皆様の悲しみに寄り添える場所になれますよう、

事務所を整えていきたいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

事務局

2014年

2月

15日

事務所移転

蝋梅が咲き、紅梅が咲き、そして白梅と行く道に梅の花が佳いかおりとともに咲いている

うれしい季節です。

梅ノ木に雪が積もり、まるで終わりの花をもう一度満開の姿に見せてくれたようでした。

梅の便りから始まる早春のこの季節にうれしいお知らせを出来ることに感謝です。

 

今までお世話になった真生会館が建て替えになるため移転することになりました。

建て替えのお話があったときは、驚きと、困惑と、心配と・・・と。

理事長をはじめ、理事、スタッフで情報を集めて、探してとの行動は勿論でした。

直接見に行った物件ふたつ目がYMCA会館でした。

 

おかげさまで契約を済ませ2月24日(月)に移転の運びになりました。

 

引越し準備のスタートは書類の整理で大切に保管しておく物、廃棄する物

廃棄する物でもシュレッダーにかける物、資源ごみとしてまとめる物。

書類の見きわめをしていて、そこに出てくるお名前は、全く知らない人、

お名前だけは聞いたことがある人、最近ご無沙汰ですがお人柄もよく知っていて

いろいろな行事をご一緒にした人とたくさんの人がお顔と一緒に蘇ってきました。

 

設立32年を思えば当たり前のことなのですが、あらためてこんなにたくさんの方々が

関わってくださり、心をこめて活動されてきた年月の重みが感じられました。

たったの2軒目でこのように恵まれた出会いのあったことが不思議と言うか、

なにか「おおきなるもの」のめぐみが感じられてなりません。感謝です。

生と死を考える会を紡いできてくださった方々に心からの感謝を

申しあげたい気持ちでいっぱいです。

 

新しい事務所は3月1日の14時から自死遺族の対象の「分かち合いの会」

から始まります。

これからも、会の充実のためにお力をいただきたくよろしくお願いいたします。

 

     新事務所  〒101-0062

    東京都千代田区神田駿河台1-8-11

       東京YWCA会館2階214号室

         電話03-5577-3935 Fax03-5577-3934

2014年

2月

06日

花の思い出

 

実家の庭にある梅の木の蕾が、春を待ちかねたかのように膨らみ始め、可憐なピンクの花を咲かせてくれています。

 

花が大好きだった亡き人は、私が枯らしてしまった花でも、丹精込めて手入れをし、翌年には綺麗に花を咲かせて、私をビックリさせた事がありました。

 

私は、もう無理かなって思うとすぐに諦めてしまうので、どんな花でも命があり、愛情をかければ必ず応えてくれる、と口を酸っぱくして教えてくれたものでした。

 

そんな亡き人が大切にしていた庭は、今では時が止まったまま…。

 

植木だけは手入れをお願いしてきたけれど、亡き人が大事にしていた花までは、気がまわらず…。

 

今さらながら、真似が出来ればいいのになぁ、っとため息を一つ。

 

今だから聞きたいこと、話したいことが山ほどあります。

 

とても同じようには出来ないけれど、せめて亡き人が大切にしていた「思い」だけは、大事に大事に受け継いでいきたいなぁ。

 

(赤)

 

2014年

1月

23日

朝、家を出た時に

こんにちは、緑レンジャーです。

 

さて、今日のお題は「朝、家を出た時に」です。

この題名だけだと、どんな内容が続くのか分からないですよね・・・。

正月休みを過ぎ、僕はいつものように満員電車との格闘です。

 

冬至も過ぎ1月になってから、最近、朝、家を出た瞬間に思うことがあります。

それは「前より、明るくなったな~」ということです。

 

家を出る時間は大体同じ時間で、3月や4月になれば窓から差し込む日の光で起き、今以上に明るいのかと思います。

 

でもこの1月あたりというのは一段と寒さが増すせいか、家を出た時に一番気になるのは寒さですが、それと同時に太陽が出る時間もこうして徐々に早まっていくんだな~と思いました。

 

先日ニュースで成人式やセンター試験の様子が流れ、僕にもそんなことがあったな~と思うと同時に、その頃の自分は、こんな風に家を出るときの明るさは意識していたのかな~と思ったりしました。

 

(緑)

 

 

 

2014年

1月

17日

新しい年のはじまりに

私の2014年のはじまりは多忙を極め、日の出を見る機会も、

神社にお参りに行くこともできませんでした。

 

そこで、寒さに耐えつつ頑張って5時起き。

湘南の日の出を見てきました。

 

じんじんする指先、頬に受ける冷たい空気の中、太陽が昇る瞬間を待ちます。

寒くて、冷たい闇が、黄金色の光に包まれ、太陽で熱をおびてゆく。

からだに感じる温かさ、光の美しさ。

生かされていることへの感謝の気持ちを静かに味わいました。

 

やっと新しい年を迎えられた。

自分の中で区切りがついた瞬間でした。


アイルランド製のやかんで珈琲を入れました。

でも、ホーローカップのあまりの冷たさに、あっという間に急冷された珈琲はアイスに。

ホット珈琲が飲みたかったのに^^;

こんな失敗も楽しい一日です。

共に朝日を見に行った仲間と、生きること、これからの暮らし方、自分たちの目標…etc
珍しく真面目に語った朝のひととき。

 

今日が人世最期の日だと思い、今、自分にできることを精一杯!

出会いや機会を大切に暮らして行こうと思います。

本年も宜しくお願いいたします。

 

水浅葱

 

 

2014年

1月

09日

年賀状

ダイアモンド富士

新しい年が始まりました。

 

初日の出を見に竜ヶ岳という山に登ってきました

富士山頂から日が昇るという

ダイアモンド富士です

 

 今年もたくさんの年賀状をいただきました。家族写真の年賀状もいただきます。

大切な家族を亡くされた方には家族写真の年賀状を貰うのはつらいという方が多く

いらっしゃいます。それが当たり前の感情なのかもしれません。

ところが私はなぜか大丈夫なのです。もちろんお子さんの写真はうらやましくて

しかたがありません。でも同時に亡き息子に思いを馳せる助けにもなるのです。

 赤ちゃんの時に会ったきりのお子さんがこんなに大きくなったのかと思い、

ではうちの息子はどのくらいだろうかと想像がふくらみます。この姉・弟はうちと

同じパターンだ、年の差がうちと同じだからうちもこんな感じだったのだろうか

と思いを馳せます。また、写真でしか知らないご家族の方々とも何となく知り合いの

ような気になり、これもご縁ではないかと思うのです。そして、よその子が大きくなり

年賀状に登場しなくなると、他人事ながらさみしく感じるのです。

 わが息子は2回しか我が家の年賀状に登場できなかったけれど、その年賀状の写真の

おかげで、会ったことのないパパ・ママ・お姉ちゃんの友人にもお見知りおきいただき

この家には男の子さんがいたよね、と頭の片隅に残っているのではないかと密かに

期待するのです。

 一方、自分で出す年賀状は…

 息子の亡くなった年、たった2歳の息子のお知らせを義父や父等が亡くなった時と

同じような地味な喪中通知にはしたくありませんでした。息子の写真をたくさん載せ

思い出を綴ったカードにしました。こんな形で非常識だろうかと心配して葬儀社の開催

したグリーフケアの会でお坊様に伺ったところ、あっさり「構いません」と言われ、

安心して出しました。(さすがに主人の仕事関係は普通の喪中通知を出しましたが)

 さて問題はその翌年以降です。

世間的に我が家は喪はあけていますが、自分の中ではまだずっと喪中です。

「おめでとうございます」とか「賀正」なんて気分ではありません。

年が明けていったい何がめでたいのだろうと、まさに

中原中也の「また来ん春」の心境です

 

 また来ん春と人は云う

 しかし私は辛いのだ

 春が来たって何になる

 あの子が返って来るじゃない

   (後略)

 

 自らおめでたい言葉を文字にすることはとてもとてもできませんでした。

そんな時にこちらの分かち合いの会で良い言い回しを教えていただきました。

 『新年のご挨拶を申し上げます』

「おめでとう」とも「賀」「春」とか見るからにおめでたい言葉は使っていません。

「新年」くらいは許容範囲です。

この言い回しを数年使っていました。

 また、息子をどうにかして年賀状に登場させたいと思い始め、これもこちらの分かち

合いの会でヒントをいただき、息子にゆかりのある物を載せるようになりました。

友人が亡き息子に送ってくれたくまのぬいぐるみ、幼稚園のカバンとスモッグ、

七五三の千歳飴、ランドセル、レゴなどなど。でも年数がたち、この年頃の男の子が

どんな様子なのかわからなくなってきました。息子がどんな風に育ち、どんな物が好き

なのかわからないというのは、全くつらくて情けなくてさみしくなります。

 今回は同じ年の男の子を持つ友人が息子に供えてくれたパズルを登場させました。

子供を亡くした場合は同じ年頃の子供の話を聞くのはつらいことが多いのですが、

私の場合は息子に思いを馳せる手掛かりになるので、場合によりますが大丈夫です。

お参りに来てくれて、私に乞われ初めて三年生の男の子がどんな風なのかを言葉を

選びながら教えてくれた友達はありがたい存在です。

相手の思いやり次第なのかと思います。

 娘も一昨年から年賀状に自分の写真が載るのを嫌がるようになりました。

息子もあと数年すれば嫌がるようになるのでしょう。それまであと数回は息子を

我が家の年賀状に載せたいと思っています。

そして家族の名前の最後には息子の名前が載るだけの空欄を必ず空けておくのです。

(空色)

 

2014年

1月

03日

年頭の墓参

新年のご挨拶を申しあげます。

年末年始の行事が変わってしまって年月がたちました。

年末の30日にはお墓のお掃除と墓石にお飾りをつること。

年始早々「あけまして・・・・・」のご挨拶にお墓参り。

何はさておき優先されます。

今日のお昼ご飯は「あさみ」という小さな食堂で頂きました。

以前義姉にアジフライが美味しいと連れて行ってもらったお店です。

二人でしたが「アジフライ定食」と「鯵のたたき定食」をとり

「さんが」と「あおりイカのお刺身」をプラスしました。

お店の雰囲気と「あさみ」と言う店名が気になって「めずらしいお店の名前ですね」

と言ってみると「亡くなった姉の名前です」とのこと。

なんとなくお嬢さんの名前かな?と思っていたことがあたりました。

70歳前後の揚げ物等担当のご主人のお嬢さん、

お刺身等を担当されているあさみさんの弟さん、亡くなったあさみさんと一緒に

お仕事されているようで、私はなんだかうれしかったです。

 

帰り道の景色は懐かしい気持ちになる田畑のなかを通ってきました。

なくなった人を何時までもそばに感じていられることに感謝。

                   朱鷺色

 

 

 

2013年

12月

31日

大晦日

 

こんにちは。

今日は1年の最後の日(大晦日)です。

1年=365日の感じ方は人によって、また同じ人でも年によって違うかもしれません。

 

この1年間で生と死を考える会の分かち合いや活動で多くの方に出会いました。

また直接お会いしなくても、このブログを通じてどれくらいの方が目をとめてくれているのでしょうか。

 

気候等の観点からは言えば、今日と明日で厳密な違いはあまりないのかもしれません。

また明日、目を覚まして、自分が何か変わったといった感覚を覚えるかというとそんなこともなく、正月行事が何か新たな気持ちにさせるのかもしれません。

 

今までの年末年始を考えると、1年を振り返った時、ただただ1年が長くて辛くて・・・世の中の年末年始の忙しなさと自分が乖離して、年を明けてもその気持ちは変わらないこともありました。

 

自分はこんな風に思います。

年が変わったからといって自分自身が全てが一変するわけでもない。

だから気持ちも含めて、年を新たに気持ちや何か新たなことに目を向けることがあっても、新年を迎えても変わらない・変えれない思いがあっても、そのどちらも大切な思いだと思います。

 

(緑)

 

2013年

12月

08日

あいたいなー

会いたいなー
会いたいなー

 12月に入り山茶花の花が白、ピンク、赤と街を彩ってくれていますね。

好きな花のひとつです。

 先日当会の会員でいらっしゃる、牛込柳町の経王寺の互井観章ご住職の講話を聞く機会があり、「涅槃」と言うお題でした。

翌日に、自主グループで20年以上ご一緒した友人の葬儀を控えていた時でしたので、ことのほか心に染みわたりました。

仏画また石や木や青銅などで作られたお釈迦様の涅槃のお姿はよくお目にかかりますが、ご自分の涅槃のお姿で伝えることについての話をされました。

死のイメージは人それぞれなのでしょうが私は会えないけど何処か知らない所に居るように思えています。

 死別後けっこう歳月の経っている私でも、何かある度に、あの子はどう考えるだろう、どう思うだろう、相談してみたい、何て言うかな?と話をしたいなーと思うことがよくあります。

会うことが出来れば、楽しそう、ちょっと太ったけど元気そう、などなど様子が分かるのに……と。

自分が死ぬのは怖くないけど、どうしているのか知りたいなーと思います。

 互井観章ご住職は、12月16日(月)夜の9時半、NHKEテレで「落語でブッダ」という番組に出演されるそうです。    よろしければご覧下さい。

                        朱鷺色

 

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2013年

11月

29日

カメラ

久々に晩秋の鎌倉を歩いてきました。
首にミラーレスのコンパクト一眼レフをぶらさげて。
カメラにはさほど関心も持たず、自分で一眼レフを操作するようになるなどとは思ってもいなかったのですが、自分で主宰するイベントでカメラ教室を開催して以来、ずぶずぶとカメラの魅力にハマりつつあります(笑)

鎌倉の黄色い紅葉
鎌倉の黄色い紅葉

私の実家には、カメラを湿気から守るガラス扉のついたケースが置いてあります。

カメラが趣味だった父が、まだデジカメ全盛になる以前に買いそろえたフィルムの一眼レフカメラ数台と、沢山のレンズたちが静かに並んでいます。


マニュアル撮影を覚えたので、そろそろこのカメラたちにも登場してもらえる機会があるかもしれません。

 

カメラはフィルムからデジタルが主流になりました。

時は流れ、色々なものが変わってゆきます。

 

父が愛した写真を撮る楽しさを、少しずつ理解し始めているわたし。

今目の前にあるものや、コトや、ヒトを、どう切取るか。

それがとても面白い。

 

黄色に染まるアーチの下で、かつて一緒に来た報国寺の紅葉を見上げながら、父はどんな気持ちでファインダーを覗いていたのかなと考えつつシャッターを切りました。

 

まだまだ父の方が上手だけれど、いつか追い越すぞっ!(笑)

 明日は父の命日です。

 

水浅葱

2013年

11月

24日

病者の祈り

空色です。

今日はニューヨークのリハビリテーション病院の

壁に掲げられている作者不明の詩をご紹介します。

娘の通っている教会の信者のお医者様に教えて

いただきました。

 

 

A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED

 

I asked God for strength, that I might achieve

  I was made weak, that I might learn humbly to obey...

 

I asked for health, that I might do greater things

  I was given infirmity, that I might do better things...

 

I asked for riches, that I might be happy

  I was given poverty, that I might be wise...

 

I asked for power, that I might have the praise of men

 I was given weakness, that I might feel the need of God...

 

I asked for all things, that I might enjoy life

  I was given life, that I might enjoy all things...

 

I got nothing that I asked for -- but everything I had hoped for

 

Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.

 

 I am among all men, most richly blessed!

 

                                                      Author unknown  

  This creed is hung on a wall at a waiting room of Institute of Rehabilitation

      Medicine, 400 East 34th Street NYC     

 

病者の祈り … 苦難を負う人々の信条

 

大事を成しとげられる強さを与えてほしいと神に求めたのに、

慎み深く従順であるようにと弱さを授かった。

より偉大なことができるようにと健康を求めたのに、

より良き事ができるようにと病弱を与えられた。

幸せに過ごせるようにと資産を求めたのに、

賢明であるようにと貧困を授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに、

神の御手を感じることができるようにと弱さを授かった。

人生を楽しく過ごせるあらゆるものを求めたのに、

どんなささいなことにも喜べる人生を授かった。

求めたものは何一つとして与えられなかったが、

願いはすべて聞き届けられた。

口で祈る私自身の願いとは全く別に、

心の中の祈りの言葉は御胸に届き叶えられた。

私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ。

 
(作者不明)       

(国立国際医療研究センター国府台病院 救急部長 朝日茂樹先生の訳)       

 

この詩を初めて聞いた時、正直なところ受け入れ難いものがあった。  

私は人生にそんなにたくさんの物を求めたつもりはなかった。

でも、最愛の息子を亡くしてしまった。

神様 なぜですか? なぜ息子を? と何度問うただろう。

神は私に何を授けてくださったのだろう。

何をしろとおっしゃっているのだろう。

 

このブログでもお知らせした「追悼のつどい・メモリアルサービス」が

先日行われました。

親友であった従兄の死をきっかけに出版社を立ち上げた夏葉社の島田氏。

教育者として子供たちに「見えないものの大切さ」を問い続け、

息子さんの死をどんなにか深く悲しんでも絶望はしないようにと、

歳月を経て、神の御心を感じられた田中先生、

お二方のお話は、大変心にしみいるものでした。

そして田中先生のお話の中に、そして祈りを聞きながら

この「病者の祈り」を思いおこしていました。

 

私はクリスチャンでも仏教徒でもないけれども、

神様はいると思っています。

息子の死を、自らの生きる意味を

一生 神に問い続けるのだろうな、と思っています。

 

 

冒頭の写真は、ちょうど7年前の今日、息子と一緒に見た京都の紅葉です

(空色)

 

メモリアルサービスの詳しい報告は1月末発行の会報をお待ちください。

 

2013年

11月

17日

11月は…

 

11月は記念日がたくさん。

心友の誕生日にはお祝いに彼女の好きな黄色いばらの花を持って逢いに行きます。

母の誕生日はちょうどピザの記念日とかでみんなでピザを食べます。

母のおかげで喜ぶのは誰?

 

そして結婚記念日、始めてもらったプレゼントはタンポポの花、花言葉は「神様のお告げ」と言う不思議な暗示で結婚の予感があったのでしょうか?

 

まるでタンポポのような模様に惹かれて、そのレースでウエディングドレスを

作りました。

 

そして30年後に娘が着て結婚式を挙げてくれました。

オレンジの花に似たブバリヤの花のブーケを持ちたくて11月にしたのに結婚記念日と娘の祈念日(命日)が同じに日になるなんて。

 

いろいろな暗証番号を結婚記念日にしていたので、使うたびに「忘れないでね」と言っているのかなーと思った日もありました。

 

忘れる事なんて無いのに。

                 朱鷺色

 

 

2013年

11月

01日

忘れていた記憶

 

このところ、父親の体調が優れず、毎日実家に顔を出していると、隣の家のおばちゃんに、庭の垣根越しに声をかけられました。

 

おばちゃんとは、私が幼稚園に入園する頃からのお隣さん同しのお付き合いです。

 

おばちゃんの話しとは、私が高校生だった時の学園祭の話しでした。

 

今、思い出しても恥ずかしいのですが、仮装行列のイベントで、お姫様役を私が演じる事になり、その時の事を亡き母が、嬉しそうにおばちゃんに話しをしていたというのです。

 

親孝行らしい事は何ひとつできなかった私にとって、おばちゃんの「ママが嬉しそうだった」という言葉に、とっくに忘れていた、その時の記憶がよみがえってきました。

 

母が手縫いで、お姫様の衣装を作ってくれた事も嬉しかったですし、手先の器用だった母が作ってくれた衣装は、とても綺麗で内心自慢でした。

 

私は母に似ず手先が不器用で、家庭科の授業で縫い物の宿題が出ると、いつも亡き母に頭を下げて、お願いしたものでした。

 

「なんで、自分ばっかりなの」と思う日が続いていた私は、少しだけ心が疲れていたのかもしれません。

 

おばちゃんが声をかけてくれた事によって、母の思いに触れる事ができ、亡き母との繋がりを強く感じる事ができました。

 

これでまた、明日から頑張れそうです…。

 

(赤)

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追悼のつどい ー第24回メモリアルサービスのお知らせー

 

参加者それぞれのゆかりの、亡くなられた大切な人を偲び、思い出との出会いのひと時を

過ごしたいと思います。 どうぞ、皆様 ご参加ください。

 

日時: 2013年11月9日(土) 午後2時~午後4時30分

場所: 真生会館(信濃町) 4階 第8会議室

内容: 第一部 追悼会

      * 島田潤一郎氏のお話 と 「さよならのあとで」イラスト上映

      *「さよならのあとで」 詩の朗読   

          藤井節子氏 (即興劇「プレイバック・シアター」会員)

      * ご遺族 田中弘志氏 のお話とお祈り

    第二部 茶話会

       お茶とお菓子で分かち合いの語らいの時を過ごします

 

参加費: 会員2000円  一般2500円

         当日受付にてお支払いください

申込方法: 電話 03-5361-8719

      ファックス 03-5361-8792

      メール  koenkai@seitosi.org

申込締め切り: 11月5日(水)

 

島田潤一郎氏

 「さよならのあとで」(ヘンリー・スコット・ホランド)を出版した夏葉社代表。

 親友であった従兄を亡くし、その時から3年以上の月日をかけ「大切な人の死を

 乗り越えずにいる方にそっと寄り添えるような本を」と、一遍の詩とイラストで

「さよならのあとで」を出版

 

田中弘志氏

 女子学院前院長。2005年に息子さんを亡くされる。 

 2012年3月に前職を退き、現在、宮城で震災復興のお手伝い中。

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2013年

10月

25日

この7年のこと

その人とお別れしてから7年になりました。
 
 哀しいけれど、もうあまり涙は出ません。
 辛いけれど、あんなに息苦しかった呼吸ができるようになりました。 
 
 「おいしい」と感じるたびに罪悪感を覚えていた死別当時
今では「おいしい物、その人の好きだった物をいっぱい食べよう」と、自然と考えられます。 
 

少しずつ元気になって笑えるようなった頃、そんな薄情な自分が大嫌いでした。
でも今では、「笑ってもいいんだ」と思えるようになりました。
  


あと20日生きれば誕生日だったんです。
死別から数年間は、命日の20日後の誕生日が来るたびに辛くて悔しくて
「生きていたら、○歳」「生きていたら、○歳・・・」と
「もし生きていたら、の年齢」が、常に私の頭の隅にありました。
 
でも今では、一度計算をしなければ「生きていたら、の歳」がわかりません。
7年前、誕生日の20日前に亡くなった当時の歳で、大切な人の成長は止まったんです。
それを受け入れられるようになりました。
 
 
大切な人が好きだった推理小説を読もう。
あの人が大好きだった、ハラハラするような映画を観て
きれいな音楽を聴いて
楽しい会話においしい料理。
 
私の五感を通じて、空の上に届けばいいな。
 
 
 
この7年間、私だって結構頑張ってきたと思うのです。
 
大切な人を忘れた訳ではないけれど
「涙が出なくなった自分」に対しても、罪悪感を持たず胸を張って生きたいです。
 

 

 

(オレンジ)

2013年

10月

20日

フランクルの言葉

こんにちは。
 
皆さんは、精神科医・心理学者のフランクルをご存知でしょうか。
フランクルは、自身のナチスの強制収容所での体験を「夜と霧」という書籍にまとめています。この書籍は彼の代表作として世界中で読まれてい1冊です。
 
そんな彼は、「生きる意味は必ずある」と問いています。
 
そして、フランクルの言葉や彼の生き方を紹介した本は、多く出版されています。
それらの書籍の1つの「生きる意味 ビクトール・フランクル22の言葉(諸富祥彦)」があります。
 
諸富祥彦「生きる意味 ビクトール・フランクル22の言葉」KKベストセセラーズ, 2010
 
この本では、フランクルの22の言葉を紹介しており、以下のようなものも挙げられています。
 
「どんなときも、人生には意味がある」
「悩んで悩んで悩みぬけ。苦しんで苦しんで苦しみぬけ。絶望の果てにこそ、暗闇の中に一
 条の光が届けられてくれるものだから」
 
ただ、僕はフランクルの言葉を自分に問えば問うほど、辛い思いを感じました。
 
「愛するものを失って絶望の中にある状態で、何を悩み、どうこれ以上苦しみ抜け」というのか・・・。
 
フランクルの言葉は理想論で、フランクルが言うようなことを体感できる人間なんてどれほどいると言えるのかと思ったりもしました。
フランクルに関連する本を読めば読むほど、底なし沼の深みに落ちていく感覚でした。
 
でも諸富氏の本には、フランクルが奥さん(エリーさん)に最期に送った言葉が紹介されています。
 
晩年、死を覚悟するようになった彼はエリーさんに次のようなことを言ったそうです。
「エリー、僕の本の一冊を君に贈ろうと思ってアパートに隠してあるんだ。きっと見つかると思うよ」
 
その後、フランクルの死後、エリーさんが本棚を整理した時、1冊の本がずらして置いてあったそうです。
 
その本は、人間の生きる意味を問いた本の1冊である「苦悩する人間」だったそうです。
そしてその本のある項に、失明に近い状態でひん曲がった字で、ある言葉が書かれていました。
皆さんは、フランクルはそこにどんな言葉を残したと思いますか。
 
それは、こんな言葉だったそうです。
 
エリーへ 「あなたは、苦悩する人間を 愛する人間 に変えてくれました」
 
僕はこの言葉を読んだ時に涙が止まりませんでしたし、今もこの言葉を見ると涙をこらえきれません。
 
その言葉は、僕の過去の体験そのものでした。自分からしたら、ともすれば偉人として捉え、どうしてもその言葉に共感できないないと感じていた彼が最期に残した言葉に人間味を感じ、ある意味、ホッとしました。
 
と同時に、フランクルはそんな思いを伝えてこの世を去って良かったが、「苦悩する人間を愛する人間に変えてくれた人」を失った僕はどうしたらよいのかと思ったのも事実です・・・。
 
でも、今の僕がフランクルの残した言葉を借りるとしたら、自分なりの言葉(物語)を続けるとしたなら、こう続けたいと思います。
 
『「苦悩する人間」を「愛する人間」に変えてくれたあなたはもういません。
  でも、私を愛する人間に変えてくれたあなたと過ごした日々は本当に幸せでした。
 
  だからこそ、僕は、あなたと過ごした日々、あなたの笑顔、記憶をなかったことには決
  しない。
       そのためにも、僕は前を向いて生きたいと思います。
                    あなたのために、そして自分のために   』
 
(緑)
 

2013年

10月

18日

追悼のつどい(メモリアルサービス)のお知らせ

追悼のつどい ー第24回メモリアルサービスのお知らせー

 

参加者それぞれのゆかりの、亡くなられた大切な人を偲び、思い出との出会いのひと時を

過ごしたいと思います。

 

日時: 2013年11月9日(土) 午後2時~午後4時30分

場所: 真生会館(信濃町) 4階 第8会議室

内容: 第一部 追悼会

      * 島田潤一郎氏のお話 と 「さよならのあとで」イラスト上映

      *「さよならのあとで」 詩の朗読   

          藤井節子氏 (即興劇「プレイバック・シアター」会員)

      * ご遺族 田中弘志氏 のお話とお祈り

    第二部 茶話会

       お茶とお菓子で分かち合いの語らいの時を過ごします

 

参加費: 会員2000円  一般2500円

         当日受付にてお支払いください

申込方法: 電話 03-5361-8719

      ファックス 03-5361-8792

      メール  koenkai@seitosi.org

申込締め切り: 11月5日(水)

 

島田潤一郎氏

 「さよならのあとで」(ヘンリー・スコット・ホランド)を出版した夏葉社代表。

 親友であった従兄を亡くし、その時から3年以上の月日をかけ「大切な人の死を

 乗り越えずにいる方にそっと寄り添えるような本を」と、一遍の詩とイラストで

「さよならのあとで」を出版

 

田中弘志氏

 女子学院前院長。2005年に息子さんを亡くされる。 

 2012年3月に前職を退き、現在、宮城で震災復興のお手伝い中。

 

どうぞ、皆様 ご参加ください。

2013年

10月

11日

珈琲のかおり

珈琲を入れる

父の好物は何だっただろうか?
食にうるさい人ではなかった。
好き嫌いはあまりなく、煩わしい注文も少なかった。

父が居るときに指令がくだるものと言えば珈琲。
イギリス人は一日にあきれるくらい紅茶を飲むが、父はあきれるくらい珈琲を飲んだ。
朝起きて珈琲、午後10時に珈琲、お昼の後に珈琲、三時のおやつに珈琲、夕方に珈琲、寝る前に珈琲。

 

私が小学生くらいの昭和な時代には、ペーパーフィルターや電動ミルなどという便利なものはなく、自宅にはガラス製のサイフォンと、木製の重い手動のミルがあった。
ガラス瓶に「ブルーマウンテン」「モカ」「キリマンジャロ」と書かれた褐色のつぶつぶ。

蓋をひらくとふわぁりと、大人な香りがした。

珈琲豆をミルで挽くのが私の仕事となる。
コーヒー豆を入れ、まあるい球状のハンドルがついたミルをくるくる回す。
重い。
小学生の私にはあまりに重い。

ごりごりごり
一休み。
ごりごりごり
一休み。
しばらく続けると、からーんと、回るハンドルが軽くなる。
豆が粉になる瞬間。

ガラスのサイフォンに豆をセットし、アルコールランプに火を点す。
しばらくすると、ごぼごぼごぼっと音をたて、水はお湯になり、ガラスのサイフォンの上方に吸い上げられてゆく。
珈琲の粉とお湯が混ざり合い、すぅっと褐色の液体が下に流れ落ちてくる。
部屋にあふれる深い珈琲のかおり。

子どもの目には科学の実験みたいで、この週末の儀式は楽しいものだった。
もちろん、回数が少なければのお話。(笑)

あるときから智慧をつけた私は、この儀式がめんどうだなと感じるとき「やっぱり、私が入れるよりお父さんが入れた方が美味しいんだよねぇ。今日はお父さんが入れたのが飲みたい!」
と言ってみることにした。

すると、「そうかぁ?」と言って、鼻をふくらませつつ、父は喜々として自分で珈琲を入れ始める。
自分の希望を通したいとき、男性は褒めて動かすに限る。
それを教えてくれたのも父であった。(笑)

最近は200円程度で手軽に珈琲が飲める時代になった。
多少焦げ臭い香りの格安珈琲を一口飲んで「あー、ここもオレの好きな味じゃない。」と顔をしかめていた父が懐かしい。
父好みの珈琲を入れるお店は少なくなったものね。

 

父が亡くなってから、我が家では珈琲を入れる機会はめっきりと減りました。

母などは「インスタントならあるわよ!自分で勝手に入れて!」とのたまう。

いやいや、インスタント珈琲飲むくらいなら、飲まない方がいいから。

 

父はどれだけ自分が愛されていたかわかっているのだろうか?

あの世で感謝してもらいたい。


(水浅葱)

2013年

9月

29日

スピリチュアル?

空色です。

夏休みに小笠原に行ってきました。

空も青かったですが、海の透明な青がとても印象的でした。

 

スピリチュアルなものを持っているイルカに会いたい!の一念ではるばる船で26時間!

もちろん息子がイルカに生まれ変わっているとは思ってないけれど、イルカと目があったら、何か感じるのではないか、と思っていたのですが…

世の中そんなうまくいくわけないですね。

イルカには会えたけれど、ああ、息子にも体験させてあげたかった…と思うばかりでした。

 

分かち合いの会でも、時々亡き人の気配を感じた、という話がでます。

それは蝶であったり、トンボであったり、出かけた先でなぜか亡き人と関係する人や物に出会ったり、夢に見たり、気配を感じたりなどなど。

実は上の小笠原の文章を草稿としてスタッフの方に送ったところ、その方が前の晩にうちの息子が海辺で遊んでいる夢を見た、というのです。

翌日、私から送られてきた草稿の文と海の写真を見てびっくり!

その方とうちの息子は会ったことないのですけどね。

 

ママの夢にはなかなか出てきてくれないけれど、僕も一緒に海に行ったよ、一緒に体験したよ、と伝えに来てくれたのかなぁ と思いました。

 

(空色)

2013年

9月

26日

それぞれの歌、句。

暑かった夏も彼岸を過ぎて涼しくなりましたね。
何時までも残暑が続くのかなーと覚悟していたので秋の訪れにホッとしています。
 小さな学習会に参加していますがそのグループで研修旅行(?)に行き、帰ってから紀行文の冊子を作るのです。
20の歌か句が宿題になり、行程に添った写真に歌や句が添えられます。
 歌や俳句の学習会ではないので、みなさん四苦八苦しながら

何とか期日に間に合わせて冊子が出来上がります。
 ご一緒に行った旅行のことを、見て、聞いて、詠むのですが、

ひとりひとりの見方、視点の違い、感性の違いが表れていて

複数の体験ができているなーと毎回感激しています。
 おふたつのご紹介です。

筒切りの鯉煮る火加減思いて食す
鯉煮付け腹に隠るる山椒の実

一隅を照らす法燈世に出でよ 人も灯 我も灯
一隅を照らすの教え胸に刻み比叡の山を黙して歩む

感性や考え方がそれぞれに違って、興味深く楽しんでいます。
 私は昨年まで亡き人を想った歌が必ずあったのですが、今年はひとつもありませんでした。
良いのでしょうか?複雑な気持ちです。
 
                   朱鷺色

2013年

9月

07日

大切な日

もうすぐ、大切な人の誕生日がやってきます。

 

今は亡き大切な人の誕生日は、子供の頃から大事にしてきた  お祝いの日でした…。

 

日頃の感謝の気持ちを書いたカ-ドを贈ったり、美味しいものを食べに行ったり、その時々に喜こんでくれそうな事を考えるのが楽しかったものです。 

 

亡き人は、誕生日だからといって  何か祝ってもらいたい、とかこれが欲しい、とか望む人ではなかったけれど、プレゼントで貰った品物は、いつまでも嬉しそうに大切にしている人でした。 

 

誕生日のケ-キやプレゼントと一緒に添えられるカ-ドには、必ずと言っていいほど、「いつまでも健康で長生きしてね-。」って書いたのに、その願いはとうとう叶わなず。 

 

今年の誕生日は、亡き人が最後に何を伝えたかったのか…

 

 

生きていたら何を私に望んでいたのか…

 

 

亡き人の思いに心を寄せて、その声に応えられるようにゆっくりと考えてみたいと思います。

 

 

2013年

8月

31日

丁稚羊羹

暑い日が続きましたね、いかがお過ごしでしたでしょうか?

 暑さの苦手な私にとって日に何回かのシャワーと、

よーく冷えた麦茶、氷で入れる冷茶でなんとか毎日過しました。

 先週滋賀への旅をして心のこもったお菓子に出会いました。

「丁稚羊羹」です。

小学校を卒業すると「丁稚どん」として、京や大阪の大店に勤め、お盆やお正月の里帰りをして奉公先へ帰るとき、お母さんがお土産として作って持たせた蒸し羊羹だそうです。

 竹皮に小さくのして、パッと口に入れられるような形にしたとか・・・・・。

 13,4歳で家を離れて働きに出る子どもへお母さん(おばあちゃんも・・・・)が作ったこの

蒸し羊羹はいつしか「丁稚羊羹」と呼ばれるようになり、今では高級菓子店でも売られていました。

 子を想う母心の切なさが伝わりちょっぴり涙ぐんでいただきました。

食べやすい大きさを実感していただきたくて、携帯電話をならべてみました。

 

                           朱鷺色

 

2013年

8月

26日

夢の中での再会

 

こんにちは、緑レンジャーです。今日のお題は「夢の中での再会」です。

 

自分も含め、大切な方を亡くされた方と話をする時、「夢の中で故人が出てきた」「夢の中でもいいから出てきてほしい」といった言葉が出てくることがあるのではないでしょうか。

 

そして僕は、悲嘆と夢の中のストリーやその解釈には関係があるのかなとも思ったりします。

 

というのも、自分も以前、その人がいない苦しみに苛まれ、悲嘆に暮れていた時に、その人が夢に出てきました。どんな内容であったかは覚えていませんが、その夢から覚めた時、涙が自然に流れていました。次の瞬間、夢の中でもいいから、もう一度会いたいと思い、二度寝をしました。

 

その時は夢の中で会えた嬉しさよりも、その人がいない辛さをマジマジと思い知らされ、自分がまったく気持ちの整理ができていないことに、余計ショックを受けたのを覚えています。

 

そして、先日、夢の中でその人が出てきました。

先の見えない螺旋階段をぐるぐると周り、また別の場面になり、自分があることをしていました。その時に、その人が後ろから来て、自分に「もう大丈夫だよ」と言ってくれました。

 

その言葉を言ってくれたその顔は笑顔でした。

 

この「大丈夫だよ」には2つの意味があると思っています。その人にとっても、そして自分にとっても「もう大丈夫」ということなのかなと思っています。

今回の夢が覚めた後、自分はもちろん涙は流れていませんでしたし、逆に少し清々しいというか、ホッとした感覚がありました。

 

別れから確かに時間は過ぎました。その中で色々ともがき苦しんできたし、これからも時に、その別れに苦しみを感じることもあるでしょう。

 

でも僕は「もう大丈夫」・・・また今度、夢で会うことがあればどんな再会の仕方をするのか、どんな会話をするのか楽しみに、自分なりに生きていきたいと思います。

 

(緑)

 

 

2013年

8月

16日

エンディングストーリー

エンディングドレス

高齢化社会、お一人様が増えたせいでしょうか?
終活(しゅうかつ)や、エンディングストーリーなどという言葉が、ネットで表に出てくるようになりました。

 

これは、「自分の最期のときをどうするか」を考えておくという活動らしいのです。

 

最近ネットサーフィンをしていて見かけたものに、エンディングドレスというものがありました。いわゆるオリジナルの死装束(ドレス)なのですが、これはウェディングドレス?と思うようなシンプルで素敵なドレスなのです。

エンディングドレスをオーダーする人の中には、「これを着る日が来るのが楽しみだわ」と、ドレスの素敵さに思わず言ってしまう方もいらっしゃるようです。


死装束と言えば、三途の川を渡る旅支度。
時代劇に出て来る巡礼者や、修行僧のような着物姿に、足袋、わらじ、三角形の布を頭につけるのが基本です。
今まで当たり前のように、誰もがお仕着せの姿で旅立ちのときを迎えていたというのは、考えてみれば不思議なことかもしれません。

「最期のときにもわたしらしさ」を求める時代。
死を語るということは、今なおタブーとされがちで、親しい友人の間ですら語られることはありません。
「死」は何となく、見てはならないもの。話してはならないもの。
そこに在るのに、まったくないように、やり過ごさねばならない空気に満ちているのです。

もちろん誰もが最期のときを考えたくはない…けれど、誰にでも平等にやってきます。
自分がどのように最期を迎えたいのかを、着るもの、流す音楽、装花など、外側のことだけじゃなく、こころの準備までオープンに語り合える場はあまりありません。

 

「自分の最期のときを考える」ことが単なるトレンド(流行)になってしまわないよう、この流れを見守りたいと思います。

私が一番素敵だなと感じたお別れの挨拶は、ある女優さんが亡くなったときのエピソード。
彼女が亡くなってからしばらくして、知人に手紙が届きました。
そこには「引っ越しました」という転居のご案内。「お近くにお越しの際はぜひ遊びにきてください。」というメッセージと共に、自分が永久に眠る墓地の住所が書いてあったそうです。

 

自身の死を受け入れるということは、とても辛く悲しいことで、そう簡単にできることではありません。私自信、出来るかどうか、正直まったく自信はありません。


そんな葛藤のただ中にありながら、周りの方にユーモアと愛をもってお別れを言える。
残された方の悲しみを、ほんの少しでも薄めることができたなら、そんな心の余裕を持つことが出来たなら…それは私の理想です。

 

とても難しいことです。
当事者になって初めてわかることも沢山あるでしょう。
本当に目の前の死と向き合わなければならないシチュエーションで、冷静に、穏やかに、様々なことを決断できるでしょうか?

全ての方にそれが出来る機会があるわけではなく、ましてやそこまでを求めることも出来ません。難しいけれど、それでも最期に愛するひとたちへ愛と優しさを届けられたら。
できるだろうか。できるようになれたらいいな。

 

言葉を交わせる間に、「ありがとう」をたくさん伝えて、「大好きだよ」をたくさん伝えておけたらいいな。

 

そこでハタと気づきました。何もそのときに始める必要はないのです。今から1秒後にでも、誰かに伝えに行けばいいのですね。「ありがとう」と「愛してる」日本人は態度に現すのがとっても下手ですが、今この瞬間に伝えたいことは伝えておこう。

そう思った猛暑の夏。

                                      水浅葱

ハート型の雲

2013年

8月

08日

惑い

大切な人と死別して、もうずいぶんと時間が経ちます。

話の流れで尋ねられた場合、死別の事実を話しますが
自分からそれを口にすることはありません。
死別後に知り合った方々のほとんどは
私が大切な人を喪ったことなど知らないのです。

 


先日、ある知人から
「家族が病気で、もう治らない。近いうちに亡くなるかもしれない」
と言われました。

私の大切な人も同じ病気で亡くなっています。

激しく動揺した後
何て返事を返せば良いものか、とてもとても迷いました。

 

自分の経験を口にするだけなら簡単です。
けれど今の彼女に、果たして私の自分語りを聞かせて良いものか
逡巡したのです。

優しい彼女のこと、
すでに死に別れた私を慰めようとするかもしれません。
あるいは、生き永らえる望みを持っていた彼女やそのご家族に
同じ病気で亡くなった事例の一つとして、
私の話は追い討ちを掛けるかもしれません。


「わかるよ」などと軽々しく口にすることだけはできない。
そう思いました。



その日はとてもバタバタしていて
彼女がふと口にしたのも、移動中のエレベーター内でした。

私に「相談した」というよりは
「現在の自分の状況を知らせた」だけなのかもしれません。


「……そうですか。あの…私も似たような経験をしているので……何かあれば、ご連絡くださいね…」。


2人きりの空間で、私が言えたのはたったそれだけ。
直後にエレベーターが到着し、そこで話は途切れました。


「似たような経験」について、彼女に尋ねられることもなかったですし
私から彼女にそれ以上伺うことはしませんでした。

その後は複数人でわいわいと楽しい話一辺倒になってしまい、
笑顔で手を振ってお別れ。

 



でも、ずっとずっと引っ掛かっているのです。

あの時、どうすれば良かったのだろう。
何て言えば良かったのだろう。



非常に情緒不安定だった、終末期の自分を思い出します。
「私の方がもっと大変だった、もっと辛かったんだから」と泣きながら話し出した親族を

千切れるような想いで慰めた自分。

 

 

笑顔で手を振ったまま、やり過ごして良いものか。

今も迷い続けています。

 

 

 

(オレンジ)

2013年

8月

01日

命日と空白

先日、息子の七回忌でした。

6年たちました。

毎年、命日近くなると心がざわざわします。ただただ、息子を思って、静かに

悼みたいのに、色々な負の感情が渦巻いてしまいます。

息子のことを知っている方でも息子のことを思い出してくださる方は

ほんのわずかになってしまいました。

当日会っても全く覚えていない、気づかない方がほとんどになってしまった中、

毎年毎年、暑い盛りに律儀にお参りに来て下さる方、お供えを送って下さる方、

メールをくださる方々に支えられて、何とか命日近辺の数日をやり過ごしてきました。

そんな中、息子を出産した時に、病院につきそって来てくれて、5歳の娘と一緒に

生まれたての息子に会ってくれた友人が、お参りに来てくれました。

(予定日よりもずいぶん早く陣痛が来てしまい緊急入院、緊急帝王切開だったため、

主人も祖母らも間に合わず、娘と友人らに見守られての出産でした)

毎年毎年、日を重ねていくことで、息子のことが遠くなっていく、後退していくような

気持ちになっていたのが、今年は、「誕生」という場に居合わせた友人のおかげで、

ちょっとだけ息子がいた時に戻ったように感じました。

 

息子を亡くした当初は、毎日早く死にたくて死にたくて、死ねないから生きているだけ

の日々。1日1日が苦しみ、悲しみ、後悔、怒り、恨み様々な感情に押しつぶされ、

心が冷たく重く凍っていました。

何とか1ヵ月たつと、あとこれを何十回繰り返せばあの子と会える、

1年過ごせば、あと20回くらい繰り返せば会える、などと考えてばかり。

6年たったからといって、乗り越えたわけでも、立ち直ったわけでもないけれど、

これをあと何回、とは数えなくなりました。

 

「死」は特別なものでも、怖いものでもなくなりました。

 

   Death is nothing at all

    さよならのあとで   詩 ヘンリー・スコット・ホランド (夏葉社)

 

この詩に出会いました。

この詩については、会報にも書きましたが、

亡くなった大切な人からのメッセージという形になっています。

最初に日本語訳の「さよならのあとで」を見つけました。

涙涙涙・・・ あの子がそこにいるかもしれない、そんな気持ちにさせてくれました。

 

この日本語版には 余白がたくさんあります。 何もないまっしろなページも

たくさんあります。

娘の学校の院長先生の言葉を思い出しました。日本人には「空白」の文化がある。

何もない、ところは、何もないのではない。 と

 

この本の空白も、単なる空白ではない

 

英語版をロンドンのセントポール大聖堂で友人に入手して貰い、送ってもらいました。

ネットで自分で取り寄せもできたはずですが、あえて友人に頼んでしまいました。

その友人は一時帰国のときに、お菓子のおみやげを2つくれました。娘と息子に。

 

息子を思い出してくれる人に

あの子の名前を共に呼んでくれる人に

ありがとう

 

空色

 

 

 

2013年

7月

19日

自分にダメ出し

このところ、「なんで自分ばかりが…。」っと思う事が幾つも重なり、

 

「え-い」っとばかりに投げ出そうとした瞬間に、ふと、頭を駆け巡った言葉がありました。

 

「あなたがつまらなく思っている今日は 

 

  昨日亡くなった人が なんとしても  生きたかった今日なんです」

 

これは、大切な人が眠っているお寺で目にした言葉です。

 

最後の最後まで「生きたい」と願っていた亡き人は、見事なまでに生きようとする底力を見せてくれました。
 

衰弱し痩せ細った身体のいったいどこに、そんな力が残っていたのかと驚くくらいに…。

 

これからの未来に夢も希望もたくさん持っていた人でした。

 

たぶん、後ろ向きな考え方や諦める、という考え方は、亡き人の辞書には無かったのかもしれません…。

 

嫌な事や困難な事があると、たいした努力もせずに、すぐに投げ出したくなる私を亡き人は今頃、情けなく思っている事でしょう。

 

最後まで諦めなかった亡き人の遺志をしっかりと受け継いで、毎日を丁寧に大切に生きたいと思います。

 

(赤)

 

2013年

7月

12日

一年に二度

オレンジです、こんにちは。
毎日本当に暑い日が続きますね。皆さん、お変わりないでしょうか。

 

私が大切な人と死別したのは、2006年の9月。
もうすぐ7年が経ちます。


7年前の今頃は、まだ意識はあったけれど、せん妄状態でした。

日に日に暑くなり
思い出します、色々なことを。

 

 

 

当時は地方に住んでいたのですが、死別して1年ほどで上京しました。


東京のお盆は7月なんですね。

新盆こそ地方で迎えたものの
2年目に、東京で迎えたお盆には戸惑いました。


「どうしよう…。お盆が7月って、お母さんわかるかな…」。


迷った末、我が家では
7月と8月の2回、お盆の支度をしています。


集合住宅なので、迎え火も送り火もしませんが、
精霊馬のキュウリとナスは二度用意。


「乗り方わかるかな?」「迷わずに来られるかな?」
心配になりますが、

一緒に来るであろう周りの人に尋ねつつ
不器用ながらも、よいしょよいしょと降りて来る姿が目に浮かぶようです。


8月にも準備をしたら
「もう、お姉ちゃんたら2回も呼んでぇ」などと、私に文句を言いながら
それでも降りて来てくれるんじゃないかな…と思っています。

 

 

宗教行事としては間違っているのかもしれません。
でも、一年に二度も逢えるだなんて、嬉しいじゃない!その可能性に懸けたいじゃない!

 

二年目以降はずっと二度のお盆を続けています。

 

 

 

今年は特に暑そうです。

終末期に体温調節がうまくできず「寒い寒い」と繰り返していた母にとっては
ちょうどいい気温なのかもしれません。

 

 

 

(オレンジ)

2013年

7月

04日

七夕の短冊に何を書く?

こんにちは~、緑レンジャーです。

 

7月になりましたね~。そして、世の中は6月からセールも始まり、いよいよ夏本番ですね。

僕も、週末にはセールに行き、夏物の服をついつい買いすぎてしまいました。汗

 

さて、今日のお題は「七夕の短冊に何を書く?」です。先週あたりから駅や街中、そしてふと気づくと職場にも短冊の書かれた笹があるではないですか?!

 

今年の7月7日は、日曜日ですね。皆さんは短冊に願いごとを書かれましたか・・?

 

先日、ある友人とこんな会話をしました。

教育関係の仕事をする友人に「短冊に何か書いた?」と聞くと、その友人は「みんなの願いごとがなくなりますように」と書こうかなと言いました。

 

一瞬、うん?と思ったのですが・・・。つまり、その友人が言いたかったことは、「みんなの願いごとがなくなる=みんなの願いが叶う」ということだったそうです。

 

思考回路の鈍い僕には、思いつかない発想ですが、ふと、本当に「みんなの願いが叶ったら七夕はどうなるだろうと想像した結果・・・短冊がないただの笹だけが飾られている光景が浮かび、その光景は七夕的にはありえないだろう~と思いました(*・ω・)

 

人間には、色々な目標や夢、願いがあると思います。それは、自分の努力でどうにかなるものや、偶然に叶ってしまうこと、はたまた現実にはありえない願いであったりするかもしれません。

 

もしかしたら、「あの人」に会いたいと切に願うこともあるでしょう。

 

僕は、自分の願い事が現実に叶うのか叶わないのか、突き詰めたいわけではありません。

 

ただ、仮に自分が短冊に願い事を書くとしたら、それはどんなことを書いたとしても、きっと叶うと信じたいし、誰かに向けた願いであるならば、その思いは相手に届いていると思いたいです。

 

(緑)

 

 

 

 

2013年

6月

28日

フランスパン

焼きたての香ばしいパンの香りは、私の思い出につながっています。

パン屋さんに出向くと「買おうかな?」と悩むのはフランスパン。


一人では食べ切れないので、友達とホームパーティーをするときなどしか買わないけれど、今日は特別なんだ!という日には、フランスパンを買います。

エキストラバージンのオリーブオイルにバルサミコ酢で食べるのも好きだし
フランス産のエシレバターと組み合わせるのも好き。

トマトとバジルとニンニクがあれば、ブルスケッタにしてもいい。
ガーリックバターを染み込ませて、カリッと焼き上げれば、ガーリックトーストに。

ちょっと食欲がないときは、コンソメでオニオングラタンスープなどにしてもいいですね。

フランスパン

高度成長期に、ニッポンの頑張るサラリーマンだった父は、ほとんど休みなく働き続けていました。


兄は父の顔を見ると、知らないおじさんかと思い泣いて騒いだそうです(笑)
子どもに顔を忘れられてしまう…!!
そんな恐怖心からか、私が生まれてからは家族サービスにも気配りするようになったようですが、それでも休みは月に一度あるかないかでした。

そんな父が、風邪で会社を休んだ日。
小学校から戻った私を呼びつけ、必ず買いに行かせたのがフランスパンでした。

焼き上がりの時間にパン屋さんに向かい、子どもが持つには少々長すぎるパンを、えっちらおっちら運びました。
私を待つ間、父は牛乳を小鍋に入れて温めています。

パリっとした香ばしい皮と、ふわっふわの中身のフランスパン。
父はミルクにお砂糖をたっぷり入れずずずーっとすすります。
私もとなりでずずーっとすすります。

フランスパンは父が風邪で会社を休んだ日の思い出。
ある意味、忙しい父を独り占めできた日。

 

美味しいフランスパンが食べたくなってきました。

(水浅葱)

 

2013年

6月

22日

家族の人数

こんばんわ 空色です

先日、健康診断で、地域の保健センターにいきました。

問診票に 家族の人数を書く欄と、出産回数を書く欄がありました。

出産回数は2回です。

保健師さんが、「お子さんはお二人ですね」

「いえ、今は一人です」

私の歳ですから、上の子は独立したと思われたのでしょう。そのままスルーされました。

 

それだけのことですが、その日はすっかり凹んでしまいました。

本当は 家族4人、と書けたらどんなに幸せでしょう。

 

先日、とある会で、旧約聖書の詩編133篇についての話を聞く機会がありました。

「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み。なんという喜び。」

 

 普通の人々にとって、家族が揃っているということは当たり前のことで、その幸せに

気づかないが、実はそれがどんなに貴重で幸せなことであるのか、

人類、はるか昔、旧約聖書の時代からの永遠の真実なのだと思いました。

 

空色でした。

2013年

6月

15日

ばら園

 世田谷にある「都立園芸高校」のばら園に行ってきました。

緑豊かな3万坪以上もある敷地には校舎は点在し、日本庭園、イギリス庭園、フランス庭園

ばら園、体育館、武道場などがあり、ポトマック湖畔に贈った桜の返礼に贈られた「はなみずきの木」もあります。

 私はばら園、虫少年の孫は虫目当てに行ってきました。

ここのばら園には原種のばらから揃っているめづらしいばら園でした。

   大きさがわかるでしょうと手に受けて

     写ってくれしばらと孫の手

 

                   朱鷺色

2013年

5月

31日

優しさ

こんにちは、赤です。

 

私の住む街も、時の流れとともに再開発が急ピッチで進み、亡き人と楽しみに通った名店も、今では数少なくなりました。


その中には、忘れる事のできない串揚げ屋さんがあります。


大切な人を亡くして、まだ間もない頃の事でした。


いつもの様にカウンターに座って注文しょうとした、その瞬間…。


それまでのいろいろな思いが一気に頭を駆け巡って、不覚にも涙があふれてしまいました。


「ここは人前なのだから」と、なんとかこの場を堪えようと心の中でもがけばもがくほど、その時間が延々と続く様な気がして…。


やっとの思いで、気を取り直して串揚げに手を伸ばしてみても、大切な人の不在という空虚感には勝てず、串を持つ手が止まっていると…


お店のご主人が私の好きな串を覚えていてくれていたのか、もう一本、黙ってお皿に置いてくれたのです。


その日は頼んでいなかったのに、そっと置いてくれた優しさ…。


その時の私はどんな言葉をかけてもらうより、何も聞かずにそっとしておいてくれた優しさが心にしみました…。


暫くしてそのお店もなくなり、きちんとお礼も言えないままになってしまった事が心残りでなりません。

 

(赤)


 

2013年

5月

28日

箸置き集め

オレンジです、こんにちは。

 

以前「亡くなってからもできること」という記事でも触れました、箸置き集め。

亡くなってからもできること

 

   

天国でおいしいご飯を食べられるように、との想いから

死別した大切な人のために集め始めたものの

6年経った今では、私自身の趣味の一つになっています。

 

 

食器屋さん雑貨屋さんを見掛けると

足を止めて箸置きを探さずにはいられません、

 

中には値段の高い商品もありますが

今は100500円ほどで購入できるかわいい箸置きがたくさん。

 

特に、外国人観光客の方が利用する和小物のお土産屋さんは

ちょっと変わった安くてかわいい箸置きがいっぱいでわくわくします。

 

 

亡くなった人が好きそうな、喜びそうなモチーフを

あれこれと想像しながら選びます。

その時間が、私にとっては楽しいのです。

 

元気だった頃の笑顔が自然と思い出されます。

もちろん単なる自己満足に過ぎませんが。

   

 

「お給料が出たら一つ買う」と決めて、毎月少しずつ少しずつ買い集めてきました。

集め始めて6年、現在ではかなりの数になっています。

 

私はいつまで箸置きを集め続けるのだろう。

そろそろ引き際なのでは。

   

個人で所有するには多過ぎるそれらを前に

死別からの時間経過を痛いほど思い知らされます。

 

「もういい加減買い集めるのを止めようか…」

 

悩んだりもしましたが

買い集めるペースを緩めつつ、もう少しもう少しだけ続けようと思います。

 

 

だって箸置きを選ぶ時は、故人の喜ぶ顔が自然と思い浮かぶんです。 

死別間際のくしゃくしゃに歪んだ顔に、謝っても謝りきれなかった私は

「箸置き選び」という何とも幸せな時間に、今はまだ縋っていたいのです。  

 

 

 

(オレンジ)

2013年

5月

18日

自然音

こんにちは~。緑レンジャーです。

 

日中は暑い日が続いてますね・・・まだ梅雨前なのに。

毎朝、ワイシャツを半袖にするかを迷いつつ、長袖を選ぶ今日この頃です。

 

さて、今日のお題は「自然音」です。

 

みなさんはこの「自然音」をご存知でしょうか?

自然音とは、例えば、雨の音や波の音、滝の音、小鳥のさえずり、あるいは、どこか自然の場所に行った時に耳に聞こえてくる複数の音源を含めた、まさに自然の音をいうそうです。

 

実はつい最近、親友にこの「自然音」というものを寝る前やリラックスしたい時に聞くと落ち着くということを教えてもらいました。

 

そして偶然にも、まさしくそれを聞いた数時間後の夜のニュースでも「自然音」について取り上げられていて、自然音を聞くと交感神経に作用し、リラックス効果があるとのことでした。

 

実際、「自然音」をネット検索をすると、海辺や森林浴の自然音など、様々な種類のものがあることにびっくりしました。

 

人によって好みの自然音があるでしょう。

 

ただ、僕の場合は、山の中の川のせせらずに、かすか遠くで小鳥のさえずりが聞こえる自然音が合うようで、実際に寝る前に聞いたら、自然音の策略にはまり、すぐに(-_-)゜zzz…してしましました(笑)

 

確かに、山奥に旅行に行った時は、聞こえる音にどこか癒され、体から力が抜けるようにも感じます。

 

以前、ヒーリングブームがあったようにも思いますが、確かに音楽や音というものは、意識化しない人間の深い部分に作用するのかもしれませんね。

 

ということで、しばらくは自分に合った「自然音」探索をしてみたいと思います。(・∀・)

 

(緑)

 

 

 

2013年

5月

10日

悲しみのいろ

悲しみのいろ

爽やかな五月晴れの空の色。気持ちの良い風が吹く季節になりました。
悲しみの色は人それぞれです。桜の花の薄紅色、あじさいの青、新緑の緑にも悲しみを感じる方はいらっしゃると思います。
私にとっての悲しみの色はグレーでした。

 

父を亡くした冬の日。外出しようと着替え鏡の前に立ち愕然としました。
スカート、セーター、コート、バック、手にとったもの全てがグレーだったのです。


仕事柄、色の組み合わせには敏感な方だと思っていましたから、いかに自分が思考停止状態だったか、日々の暮らしに色を感じる余裕が無かったかわかります。
そこで、首にマスタードイエローのストールを巻いてみました。

 

もちろん、身につける色を変えたからと言って、全てが劇的に変わるわけではありません。
しかし色を意識することが、私が一歩踏み出すきっかけになったことは間違いありません。

 

黄色いひまわり

 色にはそれぞれ癒しの効果があります。

 

黄色には自分自身を回復させる効果があり、元気が出ないとき、とりわけそれが精神的なものである場合に、左脳に働きかけ、 ものごとを前に進めてゆく手助けをしてくれる色。

 

黄色いものを身につける、黄色いものを食べる、黄色を思い浮かべながら深呼吸する、黄色い光を浴びる、何でも良いのですが、黄色を取り入れることで、少しずつ自分の中に前向きになれる力が蘇って来るのだとか。

  産調出版:実践カラーヒーリングより

 

今回、生と死を考える会のスタッフブログをデザインさせていただくにあたり、あえて喪のイメージからは遠い「黄色」をベースカラーにしました。

それは悲しみの中にいる方が、当サイトに初めてご訪問くださったとき、ほんの少しでも希望の光を感じてくださればいいなという思いからでした。

グレーに曇った空の下、悲しく冷たい雨の降ったあとにさえ、美しい虹が出ると信じていたい。

おひとりおひとりが、ひまわりの花のように顔を上げ、光に向かって歩み出せるよう。
そんな願いが込められています。

悲しみの色が、いつか優しい虹色の光に包まれますように。

水浅葱

水浅葱おススメ・今日も良い日にしてくれる一曲

True colors are beautiful like a rainbow♪

自分本来の姿を外に出すことを
こわがっていてはだめ
本当の色
本当の色は中から輝いている
私には見える本当の色が
だからこそあなたを愛しているのよ
自分本来の姿を外に出すことを
こわがっていてはだめ
本当の色ってとてもきれいのよ
まるで虹のように

和訳全文はこちらからご覧いただけます。
ロックをきこう様 True Colors 日本語訳 より

2013年

5月

02日

新学期に

この4月、娘が中学に入学しました。

6年前、娘が小学校に入学した時に、お姉ちゃんの校帽をうれしそうにかぶっていた息子はもういません。

新しい場所では、娘に弟がいたことを知る人もいません。

中学校に提出する書類の家族欄には息子の名前を書きました。

それが許される場所で娘には過ごしてほしいと思い、学校選びの基準にしました。

 

新しい場所では母にも新しい知り合いができます。

「お子さんはおひとり?」

どうやって答えようか、毎回悩みます。

どのような方かまだよくわからないうちに、息子の話をするのもためらわれます。

言われた相手もどう反応していいか困るよね、とも思いながらも

息子がいなかったことにはしたくない、という思いが勝ってしまいます。

「下に息子がいます。でも父のところにいるものですから」などと答えたりします。

たいていはすぐに話題が変わります。

 

娘も友達のあいだで兄弟の話題がでると、自分も聞かれたらどうしよう、とあせるようです。まだ弟の話をする機会はないようですが。その時はその時、相手によって考えると

言っていますが、うまくいえるかどうか心配です。

 

進学という晴れの門出を、手放しで喜べない複雑な想いのこの頃です。

 

(まだ小学生の母でいたかった空色でした)

写真は今年の3月 神田川の桜です。

2013年

4月

30日

花の季節

東京では3月に桜が咲いてしてしまいました。

「月にむら雲花に風」のとおり今年は咲いている時にお天気が荒れました。

予定していたお花見の1つは嵐のようなお天気で取りやめ,

もう1つのお花見はすばらしいお天気に恵まれました。

東御苑での散策中、知人から「今どこ?」との電話があり、「お花見!」

と言うと「心がけのいい人は違う!」と言っていただきました。

遅いかな?と心配した桜はたくさん残ってくれていましたし、シャガ、山吹、しゃくなげとそれはきれいに咲いた花々がいっぱいのお花見でした。

この写真のバラは大好きな花の1つです。

道端に小さなじゃが芋の茎を見つけ抜いてみると小さなちいさなじゃが芋がついていました。それを持ち帰って埋めてみたのですが、ジャガイモはあまり大きくなりませんでした。

ところがじゃが芋を植えたところからこのバラが現れたのです。

可愛らしい小さな素朴なバラの花です。

お玄関のすぐ横に植わっているので、出入りのたびに控えめな香りがします。

すばらしいことに四季咲き、花が終わると小さな赤い実が生ります。

ピンクのやさしい香りの花、小さな赤い実、このふたつが順番に1年をめぐってくれます。

高級でおすましのバラの花は苦手でしたが、このバラと出逢ってからバラのイメージが変わりました。

可愛らしいバラに感謝!                   

                            朱鷺色

2013年

4月

19日

記憶は不確かなものだから良い?!

こんにちは~、緑レンジャーです。

 

さて、今日のお題は「記憶は不確かなものだから良い?!」です。

 

僕が働いている職場の建物が新しくなること(隣の敷地に建てられた新施設への移行)に伴い、職員は引越し作業に追われています。

 

そして僕も自分のデスク周りの荷物を整理すると・・・色々なものが出てきます。

 

「探していたもの」や「その時は取っておこうと思い取っておいたのに、それすら忘れていたもの」、「引越しをする度に持っていって、色あせたもの」などなど・・・。

 

それは、家の引越しでも同じでしょう。

 

そして、その度に思うのが、人間の記憶というものは何て不確かなものであるということ。

 

その一瞬一瞬は忘れないと思っていても、置いた場所を忘れてしまったり、はたまた、取って置いておいたことすら忘れたりと・・・。

 

では、忘れるこは良くないことなのか?

 

「記憶が不確かなものだからこそ、人間は生きていける」と言われることがあります。

 

確かに、見たものの情報や思考が流れるからこそ、そこに時間が生じるのかもしれません。

 

(緑)

 

2013年

4月

12日

今だから、見えるもの

こんにちは、赤です。

 

色とりどりの花が咲き、春の日差しが眩しい季節となりました。

家の近くの八重桜が、今まさに咲き誇り、見る者の目を楽しませてくれています。

 

とは言うものの、大切な人を亡くしたばかりの頃の私は、「春夏秋冬」の季節の流れに心がついていかず、自分だけ取り残されたような気持ちでいっぱいでした。

 

華やぐ季節に背を向けて、喪失感と自責の思いを抱えながら、出口の見えない暗くて長いトンネルを必死の思いで歩いてきたような感じがします。


今だからこそ、見える景色。
今だからこそ、感じることのできた季節。

 

満開の桜の木の下で、亡くなる数ヶ月前に撮った大切な人の写真が、今日も変わらず嬉しそうに笑っています。


(赤)

2013年

4月

05日

区切り

こんにちは、オレンジです。

 

4月になりましたね。
ぽかぽかとあたたかくなって、花が咲き始めました。
新年度、入学、入社…
たくさんのことが新しく変化するスタートの時期です。

皆さんは、いかがお過ごしでしょうか。



2年前の4月に、「春が辛い」という記事を書きました。

春が辛い
大切な人と死に別れた私の、半年後のことを思い出しながら書いた記事です。


死別から半年後の当時
「もう春なんだから」「4月だから」という理由で
「いつまでも泣いていないで」と言われたものでした。
「前向きになりなさい」と諭すように言われたものでした。

スタートの時期に、いつまでもめそめそしていた私に
周りの人たちもしんどかったのだろう、と思います。

 


けれど前向きになることを強要されているようで
当時の私にはとてもとても辛く
受け入れることなど到底できませんでした。

人間が死ぬのに暦も季節もありません。
命日なんて皆それぞれ違うのだから
新年度だからと言って気持ちを切り替えられるほど、単純ではないのです。


私自身、日々生活することで精一杯で
時間や季節からは、完全に取り残された状況でした。


心に素直に従うあまり
身体が、言葉が追い付いてこない。

前向きになれない自分の気持ちを客観視することも、
誰かに説明することもできませんでした。



そして6年後の今
死別の区切りは一人ひとり違うのだ、と改めて感じます。

今年は、春をわくわくする想いで迎えられました。

ようやく、私にとっての区切りが近づいてきたようです。 

 

 


(オレンジ)

2013年

3月

28日

友との再会

皆さん、こんにちは。 

3月初旬の寒さとうって変わり、中旬以降、急に暖かくなりましたね。

しかも、東京の花見スポットの見頃は先週末だったりと、季節の変わり目に適応するのに大変です。

 

さて、今日のお題は「友との再会です」。

この季節は“別れ(旅立ち)と出会い”の季節ですね。

先日、大学時代の友達達と久しぶりに会いました。中には大学卒業以来あっていない友も!!

 

共に馬鹿なことをして、時に将来について熱く語った友、雰囲気がすっかり変わったものもいれば、大学時代と変わらない友もいたりと、時の流れを感じますね~。

でも、自分の変化はなかなか分からないもの、周りは自分のことをどう思ったのかは不明です(汗)

 

それぞれが卒業をしてそれぞれの道を歩んだ20代、それぞれが仕事やプライベートに変化があり、時に挫折をしたり悩んだり・・・。

 

大学を卒業する時に描いた未来と今の生活は、まったく同じものではないでしょう。

 

そんな「記憶と現実のギャップ」に、昔の自分を「アホやったなと思う自分」もいれば、「何も考えずに、未来に期待を膨らめせた自分を羨ましくも思う自分」もいたり。。

 

今回会った友の前では、僕は『大学の時も、そして今も』死別の話はしません。友の前では「死別を経験した自分という存在」はいません。

 

友に死別のことを含めて分かってもらいたいか?

もちろん、死別のことを知っている友もいます。でも、そのことを話していない友もいます。といって、それを言わない友の関係性が嫌だとは思いません。

 

死別を言う友もいれば、言わない友もいる。

 

それと同じように、今回会った友も、誰しもが友にも言わない悲しい経験や挫折があるのではないでしょうか。

 

それぞれが、その人だけでしか分からない、比較できない(比較したところで意味のない)経験があるでしょう。そして、それぞれが悲しみと同様に、その人なりに頑張っていると僕は思います。

 

最後は、本当に離れるのが辛かったですね~。感極まって涙したり・・・(汗)。

 

久しぶりの友との出会いは、これまでの自分が歩んだ人生を振り返ることにもなるでしょう。

 

もし、また10年後に再会したのなら、今回会った時に大学時代の自分達について語ったように、きっと今回会った時の話を酒のつまみに、「あん時の自分は・・・」なんて言うのでしょう。

 

自分は10年後にどんなことをしていて、自分にはどんな未来が待っているのだろうか・・・それは当然わかりません。

 

でも、10年後の未来には「希望」が続いてると信じたいと思います。

 

皆さんは花見に行かれましたか? 僕はまだ行ってません・・・(涙)

ということで、職場の入口にある一本桜を撮ってみました!!

きっと後に書く別のスタッフの誰かが、もっと花見らしい画像をUPしてくれるでしょう(期待)♪                               

(緑)

2013年

3月

15日

父からのメッセージ

今日からブログスタッフのお仲間に入れていただく水浅葱(みずあさぎ)です。
どうぞ宜しくお願いいたします。

そろそろ桜の季節が待ち遠しい、柔らかな風を感じる季節になりました。
4月は私の誕生月です。


2010年の冬に父が他界しました。
葬儀の段取り、様々な事務的な手続きに追われ、家族の中心として動いていた私。

「自分が家族を守らなくちゃ!強くならねば!」と言い聞かせていました。

 

あの頃を思い返すと、悲しんでいる時間があまりなかったように思います。
常に緊張していました。

すべてが一段落し、気が抜けそうになった頃に3.11の震災が起こりました。

 

放射能の問題、続く大きな余震、緊張と不安のまじった、なんとも言えない鬱々とした空気が家族全員に漂っていました。

これから自分はどうなってしまうのだろう?
家族をどうやって守ったらいいのだろう?
地震や放射能の影響は今後も続くのだろうか?

不安な気持ちを少しでも落ち着けたいと、部屋の整理を始めたそのとき
書類の束の間から、ハラリと落ちてきた一枚のカード。

父からのバースデーカード
父からのバースデーカード

まだ元気に外を歩けた頃、縁遠い私の縁結びと招福を願い、遠く伊勢神宮までお参りに行った父が、お土産と一緒に渡してくれたメッセージでした。

 

ずるい!誕生日直前のこの季節にそれはない!!
今まで我慢していた目玉の防波堤がいっきに崩れた瞬間でした。

でも、ひとしきり泣いたあと、不思議に肩の力が抜けたのを覚えています。
癖のある懐かしい父の文字。
なんともへなちょこな手描きの招きネコ。

 

しかも何年時間が経っても対応可能とでも言いたいかのように「?」歳バージョンになっているではありませんか。

たぶん本人は娘が何歳になったのかわからず、「?」でお茶を濁したのだと思います(笑)

 

父の娘に生まれたことを誇りに思っています。
だから、しんどい事があっても、「あはは」と笑顔で生きていたい。
頑張る必要も、我慢する必要もなく、ありのままで。
そのまんま、ダメな自分も、かなしみも、辛いのも受け止めてありのままで生きてゆく。

遠くでこっそり見守ってくれている父が「福よこい!」と祈ってくれているのですから。
今のところご利益はまったくありませんが、いつか福が来ると信じて。

水浅葱

水浅葱おススメ・今日も良い日にしてくれる一曲

One Love! One Heart!
Let's get together and feel all right.

2013年

2月

12日

熨斗紙

事務所でお弁当を頂きます。


スタッフが買ってきたお弁当の熨斗紙がとっても素敵で思わずちょうだい!


熨斗紙で袋を作ったり、箱に張ったり、花びら状に切ってお皿の間に挟んだり。


今日は可愛い熨斗紙と、ぼかしのピンクの紙に桜の花を切り抜いた熨斗紙で袋を作りました。


超忙しい中、つかの間の手仕事!しあわせなひと時です。


                      朱鷺色

2013年

2月

06日

空色

はじめまして 空色です。
今回からブログの仲間に入れていただくことになりました。
よろしくお願いいたします。

空色  そう 青は 亡くなった息子が好きな色でした。
否、本当に好きだったのかどうか確かではないのですが…。
青色を見つけると、覚えたての片言でうれしそうに「あお あお」と指差して
言ってました。


2か月ほど前、信濃町の事務所に向かう途中のJRの車内広告で

「青春時代に見えていた空と、年齢を重ねてから見る空は、同じ青でも色の見えかたは違う。
青系の色の感度は年齢と共に鈍くなる」

という記事を見つけました。

あの子の好きだった青、同じ青を見ていても 2歳児に見えていた青と私の見ていた青は
違って見えていたのかもしれないな、と今更思ったりしました。

今日、東京はあいにくの空模様。青空は見えません。
雪なら雪で積もってくれれば子供にはうれしかっただろうに。
あの子のいる雲の上は晴れているのかもしれませんが。


雪でも雨でも 空から降るなら
あの子も一緒に降っておいで ママのところに

(空色)

2013年

1月

29日

会報発送

昨日は会報発送作業の日でした。

会報134号、お手元に届くのは明日ごろでしょうか?


昨日は7人のメンバーで作業しました。

腹が減ってはいくさは出来ぬ、とばかりにまずお昼ご飯。

お結びは、鮭、たらこ、鰹節、梅干し、お赤飯

ちょっと小さめなので2~3個いただきます。


香味卵、美味しいおいしいと好評でした。

ほうれん草とブロッコリーのキッシュがすばらしく美味しくて

早速レシピを交換しました。

あと白菜のお漬け物とたくわんでした。


会報発送だけではない楽しい作業でした。


                        朱鷺色

2013年

1月

24日

記憶に残る「みそかつ弁当」

緑レンジャーです


新年が開けて、もう1月も後半です・・・。

先週の成人式は関東は大雪で、影響も出た人がいたのではないかと思います(寒い地域の方からしたら小雪かもしれませんが)。


僕も13、14日と1泊2日で岐阜に温泉旅行に行ってきました。


新宿からバスで行ったのですが、13日は天気も良く、宿も雪を見ながらの露天風呂など、しばしの休息でした。


しかし、問題はここからでした。


14日の午前中のバスで帰る予定が、13日の夜から降った雪の影響で、バスを待てど来ない・・・・。


そして予定から2時間後にバスが温泉地に到着するものの、バスは新宿ではなく、松山に変更とのこと。


多少遠回りになるも、ようやく出発するかと思いきや、今度は、松山に向かった先行のバスの先で、雪崩が起き、通行禁止となったということで、またまた行き先が変更になりました。


バスが行くことになったのは、高山で、さらに遠くになりました。


結局、高山から名古屋、名古屋から東京への満員の特急と新幹線を使い、予定の時間より5時間遅れと、名古屋での高い駅弁代を払うことになりました。


ということで、雪の影響を受けましたが、緑レンジャーはポジティブに物事を考えることに。


1つ目は、記憶に残る旅行になったこと


2つ目は、高山から名古屋の特急を乗る機会はめったにないでしょうし、その間の風景を見れたこと(逆に、帰りの電車の中で、雪が全然降っていない、雪もないところもあったので、全国的に天気が悪いと言っても、そんなことはないんだなと改めて思いました。)


3つ目は、夕方に食べた、名古屋駅の乗り継ぎで買った駅弁(みそかつ弁当)、宿を出発する前に朝ごはんを食べてからそれまで、何も食べてなかったので、とても美味しかったです。ある意味、贅沢なお弁当になりました。


4つ目は、まさにこんなハプニングも、ネタにしてしまうこと


これからも、まだ寒い日が続きますが、皆さんも風邪をひかないように、冬を乗り切りましょう~!!


(緑)

2013年

1月

18日

穏やかな哀しみ

こんにちは、オレンジです。


大切な人がいなくなってから、七度目のお正月を迎えました。

 

「分かち合いの会」で、少しずつ気持ちを吐き出せているからでしょうか。

 

辛くて苦しくて胸を掻き毟られるようだった最初のお正月に比べ
今年はずいぶんと穏やかな気持ちで過ごすことができました。

 

もちろん哀しくない訳ではありません。
けれど哀しみの質が違うように感じます。

死別当初の哀しみが荒れ狂う海だとしたら
今は、凪いだ水面にふわふわと波紋が広がっていくようなイメージです。

岸に立つ私は、じわじわと迫ってくる哀しみを、静かに受け入れざるを得ないのです。

 


亡くなって1年も経たないうちに
故人が吸っていたタバコの銘柄が生産中止になりました。

私が物心付いた時から20年以上もずっと傍にあった商品です。

 


幼い頃は、顔馴染みのたばこ屋さんへ何度もおつかいに行ったものです。
当時は今よりも年齢確認に厳格ではありませんでしたから
拙いながらもカタカナ言葉を覚えては得意気になったものでした。



大切な人が亡くなって2年後、
大好きだった歌手が話題になり、歌番組に頻繁に出演するようになりました。

 


生きていたら、お金と時間をやりくりしてまた一緒にライブに行ったのかなぁ。
きっとすごく喜んだろうなぁ…。
考えずにはいられませんでした。



死別して4年後、故人が大好きだった作家の書いた本が映画になりました。

その本自体も、亡くなった後に刊行されたものです。



大切な人の知らない作品が、今後もどんどん増えて行くんだ…。
ぼんやりと実感しました。



 

昨夏、我が家の洗濯機が壊れました。

もう15年も使っていたそれは、修理担当の方にしきりに買い換えを進められるほど。



 でも私は諦められませんでした。

 

だってそれは故人が選んで買った家電なのです。
買いに行ったお店で、うっかりテレビ局のインタビューに答えてしまい
地元のニュースに流れた、という楽しいおまけが付いた思い出の品なのです。



修理担当の方は丁寧に時間を掛けて診てくださいましたが
古過ぎる洗濯機は、モーター自体が劣化破損しており、直る見込みがないとのこと。

とても残念でしたが、買い換えることになりました。



こうして、大切な人の傍にあったものがどんどんどんどん変化していきます。

かつて愛用していたものが消えていく寂しさと
故人が知り得なかったものが増えていくことへの虚しさ。



これからも生き続ける私は、その変化を静かに受け入れざるを得ません。



そういった変化は、年月を経るほどに増えていくはずです。
2013年も、これから先もずっと。


穏やかな哀しみと共存しながら、まずは2013年を生き抜こうと思います。



(オレンジ)

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「分かち合いの会」のお知らせ


◆1月19日(土) 17時~19時30分
 *第3土曜日の集まりは、大切な人を亡くされた若い世代(主に20代30代)の方の集まりです。

◆1月26日(土) 14時~17時
 *第4土曜日の集まりは、様々な体験の方の集まりです。
 
◆2月2日(土) 14時~17時
 *第1土曜日の集まりは、大切な人を自死により亡くされた方の集まりです。
  
◆2月8日(金) 14時~17時
 *第2金曜日の集まりは、主にお子さんを亡くされた方の集まりです。

◆2月16日(土) 17時~19時30分
 *第3土曜日の集まりは、大切な人を亡くされた若い世代(主に20代30代)の方の集まりです。
 
◆2月19日(火) 18時30分~20時30分
 *第3火曜日の集まりは、様々な体験の方の集まりです。

 

◆会場/NPO法人生と死を考える会 事務局(東京都新宿区) JR信濃町徒歩1分
◆参加費/一般1,000円 会員500円

 ※会場などの詳細は、HPをご覧ください。

 http://www.seitosi.org/ 
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2013年

1月

14日

つむぎ茶論のご紹介

花束

つむぎ茶論のお知らせです

第2土曜日2時~4時30分
(年に1,2回お休みがあります)

知識では及ばない生と死の問題を通して、人生の知恵を探し語り合いませんか?
参加希望者は、死別体験の有無を問いません。
死別体験が無くても関心のある方はお気軽にご参加ください。

1月12日のつむぎ茶論のご紹介をいたします。

人生における免れることの出来ない四つの苦労である
「生老病死」から毎回テーマを大濱理事がご用意されています。
生きること、老いること、病むこと、死ぬことの四つの苦。

今回は「病」でした。

医療の問題点としてがん患者の心にまで気を配ってくれているだろうか。
また患者本人が病気にも、医療者に対しても正面向き合って
あきらめない生き方とはどういうことだろうか。

など話はあちこちに飛びながら自分のこと、亡き人のことに及びます。

サロンですのでお茶やお菓子を頂きながらのひと時です。
今回はりんごがあり、まずいりんごの美味しい食べ方などの話もありました。

次回2月9日は「死」をテーマに『エリザベス・キューブラー・ロス』の
『死の瞬間』からテーマを提案してくださると言うことです。

お出かけください。

写真のお花は前日の「第2金曜日の分かち合いの会」
の参加者が「新しい年のはじめに」とお持ちくださったものです。

いい香りとともに、場もいつもとは違うやさしい雰囲気がありました。
         感謝を込めて   朱鷺色

2013年

1月

11日

新年に

今年もよろしくお願いいたします…と言いながら、すでに1月も10日が過ぎてしまいました。

年頭に、いつも一年の誓いを立てるのですが、今年はシンプルに「今、できる事を今、実行する」に決めました。

もともと、「そのうちに、やればいい-」なんて暢気な考え方だった私に衝撃が走った、大切な人の命の期限を宣告された、あの日…。

残された時間を、どう大事に使えばいいのか、気持ちばかりが焦って、大切な人の心に寄り添えなかった、尊い時間。

大切な人を喪ってから始めて知った、当たり前だった事の有り難さと「あれもすればよかった、これもしてあげたかった」という溢れだしたら止まらない、後悔と自責の思い。

やり直す事のできない現実に愕然とした日々…。

その辛くて苦しかった思いを胸に刻みながら、今 できる事をひとつひとつ、始めたいと思います。

(赤)

2012年

12月

30日

年末に

今年もあと1日になってしまいました。

この時期冬至のかぼちゃ、そしてゆず湯、クリスマスケーキやミートローフ

など行事の食べ物がたくさんありますね。


葬儀後の何年かはこだわりや、何もかもしたくない気持ちがあり毎年のように行なってきたことをしない日が続きました


最近では出来るようになり、したい気持ちになりました。


冬至にゆづ湯にはいると風邪をひかないと言われています。

血行促進効果があって風邪の予防だけでなく、冷え性や神経痛、腰痛などを

和らげる効果があることが科学的にわかっているようです。


今年のクリスマスケーキは手作りケーキのご相伴にあずかりました。

定番のショートケーキとクリスマスリースをイメージしたケーキの2種類。

クリスマスケーキ

作ることも楽しみですが、ご馳走になるのも嬉しかったです。

さて年末の大掃除が控えています。
 
珍しい我が家の習慣、墓石にお飾りを飾ります。
房総の慣わしでしょうか、墓石にお飾りを縛り付けて飾るのは初めびっくりしました。
今では慣れて、お墓もお正月を迎えるように思えています。

どうぞ佳きお年を迎えられますようにお祈り申しあげます。

                    2012年年末  朱鷺色


2012年

12月

27日

体が資本?!

こんにちは~、緑レンジャーです。

 

さて、今日のお題は「インフルエンザ」です。

 

その題名通り、僕は22日にインフルエンザに罹り、22日~26日まで仕事を休みました、週末の連休から25日までベットで憔悴してました

 

記憶がある範囲でインフルエンザに今まで一度も罹ったことのない自分にとって、今回のインフルエンザは改めて怖いなと思いました。

 

どこでもらったのか分からないのもそうですが、高熱と全身の痛みでベットから起き上がれず、食欲もありませんでした。


1人ベットで寝ていると、人間辛い時はさらにネガティブな考えが出てくるのか、色々と考えてしまいました。今までずっと引きずっている過去、そして、これからの未来・・・・。


ニュースでも、ノロとインフルエンザが流行り出したと報道されてますし、皆さんもくれぐれも、ご注意ください。


ただし、復活したからには、物事をポジティブに考えようということで・・・、今年の若い世代の分かち合いでは、多くの方々に出会いました。

 

確かにこの会で出会うことは、死別の辛い体験があって出会ったわけであり、喜ばしいものではないと思います。

 

でも僕は、分かち合いで一人一人の方との出会いに感謝をしたいと思います。

 

そして、僕達のブログの記事を読んで下さっている方へ、1年の感謝の気持ちこめて

「いつも記事を読んでくださって、ありがとうございます」


 

(緑)

2012年

12月

16日

クリスマスのこと

もうすぐクリスマスですね。

ミネソタに留学していた娘は「ホワイトクリスマス」をとても楽しみにしていました。


残念なことに、日本とは全く違う、家々のイルミネーションを見ることは出来ませんでした。


今日家族が飾りつけました。


空から見えますか?

私が下から見てあなたが上から見えたらいいのになー。


                      朱鷺色

クリスマスイルミネーション

2012年

12月

01日

葉書

こんにちは、オレンジです。


街はどこもかしこもクリスマスに年末モ―ドですね。
行き交う人は忙しそうで、でもその忙しさを楽しんでいるようで

この時期特有の雰囲気を感じます。


日々寒くなってもいますが、皆さんお変わりないでしょうか。



この季節になると、喪中葉書のことを思い出します。


私の大切な人が亡くなったのは、今から6年前の9月末のことでした。

お葬式が終わって間もなく「あぁ、そうだ。喪中葉書出さなきゃ………」と、重だるい頭で考えました。


経済的な事情から形だけしか行うことができなかった葬儀。

呼べる人数も限られていたため
亡くなった事実はほぼ親族にしか知らせていない状況でした。


喪中葉書を通じて、お世話になった方や知らせるべき方へ連絡する必要があったのです。



けれど死別直後の私は頭も身体も鉛のように重く、何をするにも億劫でした。


全身の気力を振り絞りながら

すごくすごく時間を掛けて、ようやく葉書の片面を作成しました。

 


次は宛名です。
何よりもキツかったのは、亡き人の手帳を開かなければならないことでした。


宛先を確認するためとはいえ
自分以外の手帳を開くことには抵抗があります。


そこには、亡くなった人の苦悩が記されていました。

パラパラとページを繰っただけで目に焼き付き、苦痛で苦痛で仕方ありませんでした。


 

休みながら、少しずつ少しずつ作業をして
ようやく宛名の印字が終了したのは、その年の暮れ。
もう、22日でした。



達成感など微塵もなく
「どうしてこんな時期に…」という、自分への苛立ちしかありません。



私がまだ小さな子どもだった頃、亡くなった人が言っていたセリフを思い出しました。


「あの家は香典返しも喪中葉書も何もない。何の音沙汰もない。
何て非常識な家だろう」。


まっすぐだった故人には、先方が許せなかったのでしょう。



あぁ、けれど、お母さん。
あなたの娘こそ非常識な人間です。
ごめんなさいごめんなさい、恥を掻かせてごめんなさい。



何度も何度も謝りました。


謝ったけれど
私はとうとう、1枚の葉書もポストへは投函しませんでした。できませんでした。


 

 

今年も、我が家には喪中葉書が届き始めています。


故人の死を悼むのはもちろんですが
葉書が手元に届くまでの経緯を、ご遺族の想いを想像すると
何だかそれだけで、私は胸がいっぱいになってしまうのです。



(オレンジ)

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「分かち合いの会」のお知らせ


◆12月14日(金) 14時~17時
 *第2金曜日の集まりは、主にお子さんを亡くされた方の集まりです。
 
◆12月15日(土) 17時~19時30分
 *第3土曜日の集まりは、大切な人を亡くされた若い世代(主に20代30代)の方の集まりです。

◆12月18日(火) 18時30分~20時30分
 *第3火曜日の集まりは、様々な体験の方の集まりです。

◆12月22日(土) 14時~17時
 *第4土曜日の集まりは、様々な体験の方の集まりです。
 
◆1月5日(土) 14時~17時
 *第1土曜日の集まりは、大切な人を自死により亡くされた方の集まりです。
 

◆会場/NPO法人生と死を考える会 事務局(東京都新宿区) JR信濃町徒歩1分
◆参加費/一般1,000円 会員500円

※会場などの詳細は、HPをご覧ください。
http://www.seitosi.org/

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2012年

11月

29日

年を重ねる中で

今年は11月に入り、急に寒くなりましね。

テレビで、冬物のダウンジャケットが例年よりも早く出荷されているとの話題や関東の電力の需要率が94%になったとの話が出ていました。

 

そして、北海道での停電のニース・・・停電をされている方のことが心配ですね。

 

あと数日もしないうちに12月になり、ちまたやテレビもクリスマスや年末年始の話題になるのでしょうか。

 

若い世代での死別では、当然、死別の苦しみや悲しみなどの感情が起こると同時に、今の雇用や社会保障等など不安定な社会状況の中では、現在の生活や仕事等の悩みを抱えている場合も多いのではないでしょうか・・・。

 

ただ、この思いは、今の若者だから考えることなのでしょうか?

 

よく、人生の先輩方は、「今の若い者は・・・・」、「私たちが若い頃は・・・・」と言ったり、逆に、若者は「今と昔では違う」といった言葉を口にするかもしれません。

 

私もこの会に初めて参加したのは大学生の頃でした。初めて参加したその日のことは今でも覚えています。

その当時の20代なりたての自分は、多くの人生の先輩にはどのように映っていたのでしょうか。

 

そして12月という月を何回か重ねた今では、いつの間にか僕も、「今の若い子達は・・・・」なんてことを言ったりもしたりして・・・。

 

確かに環境や生活スタイルは時間の経過とともに確実に変化はしているのかもしれません。でも、私達が年を重ねる中で感じる感情や思いの中には、変わらないものがあるのかもしれません。

 

僕がおじいちゃんになった時、この記事を書いた自分のことをどんな風に思うのか・・・楽しみです。

 

(緑)

 

 

2012年

11月

21日

命日

命日、記念日、祈念日、メモリアルデー、何と言ってもいやな言葉です。

 

今年もお花を頂きました。りんごがふたつついているのは若い人。

 

カサブランカは私と同年の人、命日にいただく花束は


嬉しくて、悲しくて複雑です。

 

毎年毎年いただくお花が見えているのでしょうか?

 

カサブランカ

不在になってからも、お誕生日にもお花を頂きますが、

こちらは素直に嬉しいのです。
 
出会いがあるから別れもある、と聞いたことがあります。
 
私のところに生まれてきてくれたせっかくのいのちなのに、

もったいない、もったいない・・・・。
 
このところ情緒不安定な日を過しています。
 
                   朱鷺色
 
 
お知らせ

NPO法人「生と死を考える会」創立30周年記念講演会
 
いのちの再建弁護士 -会社と家族を生き返らせるー
 
中小企業再建専門弁護士が語る、人生の「再生」。顧問先の社長の自死、
 
愛娘の突然の死を自らの人生の宿命とし、絶望の中の希望を語る。
 
誰もが見放した会社を、人生を、命を救う。

講師  村松謙一  光麗法律事務所代表

 
日時:2012年12月8日(土)  14:00~17:00(受付13:30~)
 
会場:真生会館 4階第7会議室
 
参加費:会員/学生:1,500円   一般:2,000円 

(当日受付にてお支払いください)
 
申込み:下記主催「NPO法人・生と死を考える会」宛てに、
 郵便・ファックス・メール・電話にてお申込みください。

NPO法人・生と死を考える会
〒160-0016新宿区信濃町33-4真生会館内
電話03-5361-8719 fax03-5361-8792
off@seitosi.org
http://www.seitosi.org/

2012年

11月

11日

高尾山

高尾山

高尾山に登りました。
何年生かすっかり忘れましたが、遠足で行ったことがあります。
山登りは苦手!なのにどうして行ったの?
誘ってくれた人、ご一緒のメンバーが大好きなので行ったのです。

往きもそれなりに大変でしたが、帰りの舗装された道の大変だったこと……。

紅葉はまだまだでしたが、見晴らしの景観は素敵でした。
写真でお相伴ください。

高尾山のトイレ

これはトイレです。
山頂にあるこのトイレはウォシュレットまであるトイレでした。

山に行ったら帰りには、温泉に入ったり、お蕎麦を食べるのに
私のせいですっかり遅くなり、まっすぐ帰りました。

電車の中で左のモモがつって大変でした。
ホカロンを持っている人がいて、貼って温めましたらよくなりました。

紅葉がまだだったので、もう一度行きましょう、のメールが来ました。

どうしようかな?と悩んでいます。

                       朱鷺色

2012年

10月

31日

変化していく

先日、1年振りに地元へ帰りました。

大切な人が最期を迎えた病院の前も通りました。
建物はすっかり新しくなっていて、
あの茶色い古くさいひび割れた病棟は面影もありませんでした。

思えば入院していた頃から改装工事をしていたのだから
あれから6年も経てば様変わりして当然です。

当時の私の職場から、走って3分のその病院を選んだのは私。

朝も昼も夜も少しでも永く大切な人と過ごすためでした。

無理矢理に引っ張って検査へ行ったあの日、
手術直後の「痛い、痛い!」と叫ぶ声を耳にしながら、何もできず弟と無言で帰宅したあの日、
手術以来初めて食欲が出て、「すいみつが食べたい」というワガママに
胸をはずませ走ってデパートまで買いに行ったあの日。

泣きながら笑いながら様々な想いを抱えて
朝も昼も夜も毎日まいにちくぐったあの玄関は、もう見る影もありませんでした。

一度は元気になった大切な人が、「リハビリ」と称してぐるぐる散歩していたあの階段も廊下も
向かいの病棟の患者さんと笑顔で手を振り合った窓も
2人で相談しながら仲良く買い物に行った売店も

本当に全部なくなっちゃったんだなーと、痛いほど実感しました。

病院がきれいになることはとても良いことです。
以前の建物よりも機能的になったのでしょう。

けれどあの茶色い古くさいひび割れた建物は
私と大切な人が過ごした最期の場所なのです。

新しい病棟を仰ぎ見て、何だか寂しくて哀しくて少しだけ泣いてしまいました。

死別から時間が経過し、
大切な人との思い出もこうして少しずつ変化していくのでしょう。

受け入れる準備は、まだできていないのだけれど。

 
(オレンジ)

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「分かち合いの会」のお知らせ


◆11月9日(金) 14時~17時
 *第2金曜日の集まりは、主にお子さんを亡くされた方の集まりです。
  
◆11月17日(土) 17時~19時30分
 *第3土曜日の集まりは、大切な人を亡くされた若い世代(主に20代30代)の方の集まりです。

◆11月20日(火) 18時30分~20時30分
 *第3火曜日の集まりは、様々な体験の方の集まりです。

◆11月24日(土) 14時~17時
 *第4土曜日の集まりは、様々な体験の方の集まりです。

◆12月1日(土) 14時~17時
 *第1土曜日の集まりは、大切な人を自死により亡くされた方の集まりです。
 

◆会場/NPO法人生と死を考える会 事務局(東京都新宿区) JR信濃町徒歩1分
◆参加費/一般1,000円 会員500円

※会場などの詳細は、HPをご覧ください。
http://www.seitosi.org/
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2012年

10月

24日

金木犀

キンモクセイ

金木犀の花がようやく咲き、そろそろ終わりでしょうか。
いつもは9月に咲いているので今年はちょっとゆっくりでしたね。
花の咲いているのを見つける前に香りで気がつきます。
いい香りがして、あたりを見回すと
オレンジの可愛らしい金木犀が咲いているのを見つけます。
 
家族を花にたとえたら何かなーと思いをめぐらせたことがあります。
 
そのとき夫は金木犀の花と考えました。
まちの中に咲いている金木犀は、大きさも色も形も目立たない木で、
華やかに咲く花ではありませんが、、実りの秋の訪れを知らせてくれるかのように、
街を香りで満たしてくれます。
道端に散り敷くオレンジの小花は、おしゃれな夫に似ているように思えました。
花言葉は「謙遜、初恋」
 
私はちょっと図々しいかなと思いながらも、どくだみの花がいいと希望をこめて・・・・・・。
庭の片隅にひっそりと咲く、小さな花の風情は、
確かに私からはるか遠いように思います。
どくだみの名は「毒痛み」からきているといわれ、
十薬という別名のように、整腸、利尿、緩下、緩下、解毒などの
民間薬としての用途が広いことは、ひとのために働く事や、
世話好きといった、私の生き方に通じるものがあるように思うのですが…。

                                      朱鷺色

2012年

10月

08日

朝散歩

コーギー

早朝6時、顔も洗わずにボッ~としたまま、虫除けスプレーだけして、私は出勤前に、愛犬の散歩に30分ほど繰り出します。夏は汗だくですが、この起き抜けの「散歩」が、実に至福の時間だと、やり始めて最近知りました。今まで知らなかった。なんてもったいない!

彼岸花

朝の時間は、ボッ~とした頭をいったんクリアにしてくれ、今日一日やるべき仕事や考えを整理するのに役立ちます。また、自宅そばの玉川上水を歩くのです が、季節に合わせた、桜や彼岸花、夏草や紅葉や落ち葉、風や陽射し、鳥や虫、本当に自然満載で様々な季節の発見をします。ありがたいことにそれだけで私は 癒され、前向きな気持ちになれます。今年は2回も野生の蛇に遭遇しました!こわかった~

蛇

↑真ん中のが逃げるヘビ。

朝のパワーと、自然のパワーが、重なると、良いことばかりです。
昔は朝起きるのが苦手でしたが、今はこの早朝散歩のためなら、5時起きも苦ではありません。
それだけはまるのです!!
ぜひこの朝散歩お勧めです!!

脳科学的にも、仕事やや勉強の前に運動をすると効率や成績が上がることが実証されています。朝散歩は理にかなっているのです。

愛犬「とろ」(コーギー2才女の子)は様々なことを教えてくれます。自然と共に生活できることのよろこび、今を楽しむことの大切さ、笑顔で笑うこと。悲しい時は吐き出す相手にもなってくれ、身体の調子の悪い時は察して静かにしてくれます。
朝散歩はきっと、互いの楽しみを分かち合う大切な時間なのです。

愛犬

ピンク

2012年

10月

07日

メモリアルサービス

メモリアルサービスのお知らせ

 

日時 :2012年10月13日(土)14:00~17:00

 

場所 :真生会館4F (信濃町下車2分)

 

参加費:会員・学生 2,000円  一般 2,500円

 

         (当日受付にてお支払いください)

 

メモリアルサービス、それは大切な亡き人を「追憶」すること

 

生死の境を越えて絆を深めること。

 

特定な宗教や個人に限定せず、参加者それぞれにゆかりの、

 

亡くなられた大切な人を偲び、思い出と、出会いのひとときを過せればと思います。

 

インディアンフルート奏者 Mark Akukusa(マーク アキクサ)さんをお招きし、素晴らしい演奏の音色とお話をご一緒いたしましょう。

マーク アキクサさん

2012年

9月

28日

2年目を迎えて

生と死を考える会で「若い世代の分かち合いの会」を始めまってから、9月でまる2年を迎えました。


若い世代の分かち合いの会を初めて開催したのが、2010年9月18日(土)でした。最初5名のスタッフを中心に始めた「若い世代の分かち合い」も新しいスタッフが増えました。


そして、この2年間には、多くの方々が参加してくださいました。

参加者は、親やきょうだい、恋人や配偶者、子ども、親友など故人との続柄や死因も様々です。

また、毎月の分かち合いもその時によって、人数も違ければ、参加者の背景も違います。


参加者やお問い合わせを頂いた方の中には、会のHPの「若い世代の分かち合いの会」のメッセージ(案内文)を見られた方も多いかと思います。


私たちがこの若い世代の分かち合いのメッセージを考えた時に浮かんだこと、それは


『若い世代で大切な人を亡くしたゆえの「苦しみ」や 「 悲しみ 」、


「 生きづらさ 」・・・そしてその先にある 「 希望 」 』   でした。


実際に分かち合いを初めて、参加者そしてスタッフの間ではそのような思いが語られているように思います。


これからも「若い世代の分かち合いの会」は、会を必要としてくれる方がいる限り続けていきたいと思います。


            

                「若い世代の分かち合いの会」スタッフ一同



2012年

9月

27日

お知らせ

明日講演会があります。

 

心に響く内容です。お時間がありましたらぜひご参加ください。

 

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

《絆といのち》   講師  森一弘師 (カトリック司教)

 

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

夫婦の絆、親子の絆、地域との絆などなど、様々な絆がある。

 

絆は、独りでは生きていけない人間にとっては、

 

かけがえのない命綱のようなものである。

 

そんな絆に真実の愛が吹き込まれる時、絆は一人ひとりの人生に

 

喜びを灯し、確かな希望となって永遠につきない交わりへの道を開く。

 

実に愛に息吹かれた絆は命の輝きの源泉である。

 

今回、無縁社会の到来と言われる現代日本社会を念頭に置きつつ、

 

改めて人にとっての絆、愛、命の意味を確認したい。

 

日時 :2012年9月28日(金) 19:00~21:00 (受付18:30~)

 

会場 :真生会館 4階

 

参加費:会員・学生 1,000円  一般 1,500円

 

申込み:下記電話にてお申込みくださるか、直接会場においでください。



NPO法人・生と死を考える会
〒160-0016新宿区信濃町33-4真生会館内
電話03-5361-8719 fax03-5361-8792
off@seitosi.org
http://www.seitosi.org/

2012年

9月

21日

彼岸花

彼岸花

暑かった夏も「暑さ寒さは彼岸まで」の言い伝えどおり朝夕の涼しさがうれしく感じられるようになりました。

 

今年は「彼岸花」の咲くのが遅かったようですが、きれいに咲いてくれました。

 

彼岸花の根っこは冷やす作用があるようで、足をくじいた時根っこを摩り下ろして小麦粉と混ぜ合わせ布に

 

べったり貼り付けて患部を冷やしてくれました。

 

幼い頃の思い出です。

 

花言葉は「悲しき思い出・思うあたなは一人 また会う日を楽しみに」

 

なんて私の気持ちにピッタリの花言葉でしょうか?

 

                 朱鷺色

2012年

9月

15日

オリンピック&パラリンピック

この夏はオリンピック観戦に、以外にも熱中しました。
ロンドンは夜中の放映時間ということもあり、その期間は仕事しながらも絶不調の体調を2週間維持しつつ(笑)今までで一番熱中しました。


開会式観ましたか?


イギリスという国の良さが全面に出てましたね!

 

エリザベス女王が、ジェームズボンドと、空からスカイフォールするなんて誰が想像したでしょう‼
日本なら天皇陛下をヘリから飛ばすようなそんな大それた発想もつきません!

 

素晴らしかった!

そして感動をもらった数々の競技。


なでしこサッカー、女子バレー、水泳、男子リレー、卓球、テニスetc.
観てるだけで惹きつけられました。


 

中でも、ピカイチのかっこよさを放ったパラリンピックの車いすテニスの国枝選手。知ってますか?

ラケットに貼られた手書きのラベル
「俺は最強だ」。


金メダルをとったプロのプレーヤーです。


彼は9才の時に脊髄腫瘍で車いすに、中1からテニスを始めています。


 

私も中学からずっとテニスをやっていて、今でも楽しんでいます。

テニスをやっている人ならなおさらわかると思いますが、車いす座位の状態で、あんなに強いショットや、健常者と同等の素晴らしいコースに打つショットは、あり得ません。

本当に驚きました。

 


彼は中3になって、9才の時の病気ががんだったと知り、「与えられた命だから、どんな時も諦めずに生きて行こう」「人生何が起こるかわからないから、毎日を悔いなく生きていこう」と
思ったそうです。

 

死別を経験した人も少なからず、こういったことを感じるのではないでしょうか。


彼のすごさを感じたのは、なんというか、人生の覚悟のようなものの上にある、かっこよさです。

 

若いからでしょうか。


いや、そうではないですね。私が仕事で出逢うお年寄りでも、中高年でも、自分で自分の人生を受け入れ、覚悟し、日々闘っている人は、本当に「かっこよく」見えます。


 

私は、
そういう人間の弱いけどそれでも持っている力強さ、
にとても惹かれています。




 

ピンク





 

《分かち合いの会のご案内》



◆9月1日(土) 14時~17時
 

*第1土曜日の集まりは、大切な人を自死により亡くされた方の集まりです。

 


◆9月14日(金) 14時~17時
 

*第2金曜日の集まりは、主にお子さんを亡くされた方の集まりです。

 


◆9月15日(土) 17時~19時30分
 

*第3土曜日の集まりは、大切な人を亡くされた若い世代(主に20代30代)の方の集まりです。

 


◆9月18日(火) 18時30分~20時30分
 

*第3火曜日の集まりは、様々な体験の方の集まりです。


 

◆9月22日(土) 14時~17時
 

*第4土曜日の集まりは、様々な体験の方の集まりです。

 




◆会場/NPO法人生と死を考える会 事務局(東京都新宿区) JR信濃町徒歩1分

 


◆参加費/一般1,000円 会員500円


※会場などの詳細は、HPをご覧ください。

http://www.seitosi.org/

2012年

8月

30日

ひるがお

ヒルガオ

この夏はことのほかの暑さが続いていますね。

 

夏の花の中で大好きな花に「ひるがお」があります。

 

車道のフェンスに絡まって咲いていたり、植え込みの木などに

 

なにげに絡まって咲いているやさしい風情が好きです。

 

私は5人家族でしたが、ひとり亡くなって5という数に異常にこだわっていた日々がありました。

 

歯ブラシ立てなど4つしか穴が無いのには悲しくて5人用の物を探しました。

 

先日5つ揃ったひるがおを見つけた時、とってもうれしかった!

 

ひるがおの花言葉「和やかさ・絆」 素敵な花言葉に感謝。

 

まだまだ残暑はきびしいようです、どうぞお大切にお過ごしください。

 

                            朱鷺色

2012年

8月

30日

本を読む日常

大切な人と死別して、活字が読めなくなってしまいました。

文字が目に入るだけでめまいがして、吐き気が止まらないのです。
無理矢理読んでも内容など一切掴めず、右から左へ流れていくだけでした。

気持ち悪くて苦しくて仕方がなかったけれど、文字情報なしでは生活ができません。
当時の仕事は特に、活字に触れる機会が多かったのです。

めまいと吐き気をぎゅっと堪え、勤務中は必死に活字を追います。
一度では到底理解などできず
休みやすみ深呼吸しながら、何度も繰り返し読みました。

望んで就いたはずの職業なのに、まるで地獄のようでした。

もちろんそんな状態で意地を張って仕事したって成果など出るはずがなく
その働きぶりは、今思い返しても本当に情けないものでした。
けれど当時の私には自身を客観視する余裕すらなく
フラフラになりながらも、とにかく目の前の仕事にガムシャラでした。

勤務中はひどく具合が悪かったけれど
余裕がない分、死別の苦しみからは逃れられます。

仕事だけが生き甲斐かのように、まるで縋るように、必死になって職場へと通い続けました。


活字が読めなくなり
毎日続けていた読書記録も途絶えてしまいました。


一日一冊本を読んで、簡単な記録をつける。


日記代わりのそれは習慣化し、高校生の頃から11年以上も続いていたのに
大切な人との死別以来、「本を読みたい」などという感情はすっかり消え失せたようです。

以前なら飛び付いていたはずの大好きな作家の新刊も
写真たっぷりのファッション雑誌も、続きを心待ちにしていた連載漫画でさえも
体中が拒否反応を示します。

大切な人と死に別れて二度と逢えないことは哀しく、本当にほんとうに胸が引き裂かれるほどでした。
自責に苦しみ、頭を抱えてのたうち回る毎日でした。


ですがその感情とは別の次元で
私の日常を蝕む様々な身体症状がありました。

「活字が読めない」だけではありません。
朝起きられずとにかく疲れやすく、めまいと吐き気が頻発します。

自分が自分じゃないみたいで、悔しかったし辛かったです。


 

「このまま一生体調不良で、本も読まずに暮らしていくのか…」。
ぼんやりと諦めかけたのは、死別から一年が経つ頃。

ちょうど引っ越しが迫っていて
「本棚にある本を全部処分してしまおうか…」と
自棄になっていました。

埃をかぶった本の中から、ふと谷川俊太郎さんの詩集が視界に入り
「処分前に、一度だけ目にしてみようか」
その時はなぜだか、そう思えたのです。

ゆっくり、ゆっくり、深呼吸しながら読みました。
1ページ捲るごとに閉じて休憩しながら、半日掛かりで。
仕事の資料以外で一冊の本を読み終えたのは、大切な人が亡くなって以来初めてのことでした。

「後悔」と題された詩で、声を上げて泣きました。

 


あまりに自分の感情に似過ぎているその詩は
現実を受け入れられずにいる愚かな自分に、唯一寄り添ってくれているようでした。

 


活字に救われたのだ、そう思いました。

 


小さい頃から引っこみ思案で本が友だちだった私は

拙過ぎて言葉にできない感情を、思い返せばいつも本に代弁してもらっていたのでした。

 

 

一冊読了できたことで自信が付いたのか
敵だったはずの活字が、実は味方だと気付いたからなのか
それ以来、「本を読みたい」という欲求が再び芽生えました。
じっくりと時間を掛けて、自分の体調に留意しながら読む進めることで
めまいも吐き気も徐々に緩和されていきます。

読書記録を再会するまでにそう時間は掛かりませんでした。

大切な人のいない生活に違和感を覚えながらも
私はまた、本を読む日常へと戻ってきました。
 

現在、読書記録を始めて18年目。

誰に見せるわけでもない、ただの自己満足に過ぎないのですが
私には大切なたいせつな習慣なのです。

一年近く空白ができた期間もあるけれど
それすらも私の苦悩の記録なのだ、と今は愛しく思えるほどに。



わくわくしながら本を読める喜びを噛みしめて

今日も、私の日常が過ぎていきます。

 
(オレンジ)

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「分かち合いの会」のお知らせ
 
◆9月1日(土) 14時~17時
 *第1土曜日の集まりは、大切な人を自死により亡くされた方の集まりです。
 

 

◆9月14日(金) 14時~17時
 *第2金曜日の集まりは、主にお子さんを亡くされた方の集まりです。
 


◆9月15日(土) 17時~19時30分
 *第3土曜日の集まりは、大切な人を亡くされた若い世代(主に20代30代)の方の集まりです。

◆9月18日(火) 18時30分~20時30分
 *第3火曜日の集まりは、様々な体験の方の集まりです。 

 

◆9月22日(土) 14時~17時
 *第4土曜日の集まりは、様々な体験の方の集まりです。

 
◆会場/NPO法人生と死を考える会 事務局(東京都新宿区) JR信濃町徒歩1分
◆参加費/一般1,000円 会員500円

※会場などの詳細は、HPをご覧ください。
http://www.seitosi.org/

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2012年

8月

21日

お弁当

今年の夏も、近くの市営プールでは、子供達の歓声が朝からこだまし、連日のうだるような暑さも手伝ってか、大変な賑わいです。


小学生の頃、私は顔を水につけるのが恐くて、プールで泳ぐのが苦手な子供でした。


そんな私を母は心配して、スポーツ教室に通わせてくれました。


そこは水泳以外にも、跳び箱や体操、球技など、運動全般を指導してくれる教室で、運動が苦手な私は、しぶしぶ放課後に通いました。


すぐに「やめたい。」「もう、行きたくないよ。」と反発しては困らせていた私に、母は愛情がたくさん詰まったお弁当をいつも持たせてくれました。


お腹を空かせて学校から帰ってくる私は、教室に向かうバスの中で、待ちきれずにお弁当を広げたものでした。


引っ込み思案の小学生だった私が、なんとかやめずに教室に通い、泳げるようになったのも、今は亡き母のお弁当のお陰かもしれません。


その時の懐かしい味が、母のあたたかさが、子供達の歓声を聞いていたら突然、胸いっぱいに広がってきて、無性に母の作ってくれたお弁当を食べたくなりました。


(赤)

2012年

8月

15日

子供の頃の思い出

お盆休みは、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私は仕事の関係で今年はお盆の時期に帰省できません・・
 
この時期は、大切な人を亡くした方にとっては色々な思いを感じさせる時期ではないでしょうか?
 
普段の忙しない生活を送る中では、お盆の時は故人のことを偲び、お墓やお仏壇の前で故人と会話をする大切な時間になるかもしれません。
 
一方、故人がいない寂しさや悲しみをより一層実感することもあるかもしれません。
 
私 にとって、この時期はお盆というより、大切な人がこの時期に最期の入院をした1か月間の記憶とどうしてもリンクしてしまいます。なので、死別して数年間は この時期は思い出したくない病院の出来事がフラッシュバックしては混乱していましたし、今でもこの時期は心がザワザワします…。
 
それでも、お盆の時に、お墓に提灯を持って先祖(故人)を迎えに行く(あの世からこの世に戻ってくる)という考えに何となく共感できる部分があるように感じます。
 
私も小さい時に、母と一緒に不揃いなお団子を作ったり、子どもであるせいか、「自分が提灯の火が消えないように持つ!!」と親に言い張り、いつ時からかそれが自分のお盆の役割になっていたように思います。
 
今年はブログを通して、子どものころの懐かしいお盆の思い出を感じることができたことに感謝したいと思います。
 
若い世代の分かち合いは、今月も変わらず第3土曜日の18日に開催します。
 
(緑)

2012年

8月

06日

ともに。

 

(福島県相馬 松川浦)


今日は広島原爆投下から67年の日でした。

テレビで見た広島市長の言葉。

「被爆地ヒロシマだからこそ、福島と気持ちは共にある」


ヒロシマのNPOが夏休みに原発事故で苦しんでいる福島の人達を受け入れたり、様々な交流が進んでいるようです。

「広島は、より深く福島を理解できる。ヒロシマだからこそ、ありのままを受け入れて、共に苦しんだり悩んだりできればいい。」


腫れ物に触られるような扱いを、全国の避難先で福島の人達は受けると言います。周りもどう理解したり共感していいのかわからないのでしょう。


私はこの広島市長の言葉を聞いて、

心が震えました。

私にとっての福島が、第二の故郷であり、あの浜通りが変わってしまい悲しんでいるからでもあります。

でも、それ以上に、この広島のスタンスは、この分かち合いの原点だと思ったからです。


分かち合いの会は、参加しても言葉にできない人もいる、泣くだけしかできない参加もある、他人の話を聞いて勇気をもらったり、励まされたり。

それは、何かを誰かのためにしてあげることじゃなく、

共に悩んだり苦しんだり、

共に心はあるというもの。

何もできなくても話せなくても、

心はあなたと同じ。


ヒロシマが、フクシマの良き理解者であり、伴走者であり、支援者であり続けることを願って止みません。


今月の「分かち合いの会」のお知らせ

◆8月4日(土) 14時~17時
 *第1土曜日の集まりは、大切な人を自死により亡くされた方の集まりです。


◆8月10日(金) 14時~17時
 *第2金曜日の集まりは、主にお子さんを亡くされた方の集まりです。


◆8月21日(火) 18時30分~20時30分

 *第3火曜日の集まりは、様々な体験の方の集まりです。


◆8月18日(土) 17時~19時30分

 *第3土曜日の集まりは、大切な人を亡くされた若い世代(主に20代30代)の方の集まりです。


◆8月25日(土) 14時~17時
 *第4土曜日の集まりは、様々な体験の方の集まりです。

 

 

◆会場/NPO法人生と死を考える会 事務局(東京都新宿区) JR信濃町徒歩1分

◆参加費/一般1,000円 会員500円
※会場などの詳細は、HPをご覧ください。
http://www.seitosi.org/

ピンク

2012年

8月

05日

最期の晩餐

もう10年以上も前の話になりますが、
テレビ朝日系列で放送されていた『ニュースステーション』という番組に
『最後の晩餐』というコーナーがありました。


キャスターの久米宏さんと著名人との対談です。

「明日あなたが死ぬとわかったら、
   最後の晩餐は
   誰と、どこで、何を食べたいですか」。


私たち家族はこのコーナーが好きで
番組を観ながら、好き勝手に話したものでした。

当時の私たちにとって「死」はあまりに遠く現実味などまるでなく、
ただ好きな食べ物について語っていたに過ぎませんが。


確か母は、「お寿司」と言ったように記憶しています。
お寿司が大好きで、寿司職人と結婚したような人でした。


「じゃあ、何のネタにする?」などと、
結局は話が「最後の晩餐」からそれてしまいましたが
あの時居間で話した私たちは、確かに幸福でした。

まさか数年後に亡くなるだなんて、母自身、夢にも思わなかったのでしょう。

母の「最期の晩餐」は氷でした。
晩餐という言葉には似つかわしくない時間帯、朝の食事でした。

食事と呼ぶにもおこがましいかもしれません。
それはとても粗末なものでした。

介助をしていた私と母が、言葉を交わした最後の場面でもあります。

 

がんが進行し、
様々な薬の副作用に耐えられなくなったのでしょうか。

最期の夏、母はせん妄状態になりました。
幻覚が見え幻聴が聴こえ、私たち家族や看護師さんたちを困らせました。
やがて脳梗塞になり、目が見えなくなりました。
体も動かなくなりました。
簡単な意思表示はするものの、「言葉」を発することはなくなりました。

「あー」「うー」などの単語や
精一杯体を動かして、それでもほんの少しのジェスチャーでの、わずかな意思表示。
耳は聴こえていたようで、何とかコミュニケーションを取ることができました。


死期が近いことを覚悟して
私は母の病室に泊まり込むようになりました。

私の職場と病院は幸いにも近く、お昼休憩も顔を出せます。

仕事が終わると病室へ行き、夜は隣の簡易ベッドで眠り
朝になると自宅へ一度戻り、シャワーと着替えを済ませ、また病院へ。
出勤時間ギリギリまで母の顔を見に行きました。
脳梗塞が原因で飲み込む力のなくなった母は、飲食は難しく
点滴からの栄養で命を繋いでいました。

それでも喉は渇くのでしょう。
病院側から許されたのは氷でした。

小指の爪ほどの大きさに砕いた氷を、2~3粒ごとスプーンで口に含んでやります。
喉の渇きが解消されるのか、うつろな目で「おかわり」をねだりました。
口を開いて次のスプーンを待つのです。

母にとって、氷は唯一自分の口から摂取できるものとなり
また私と母とを繋ぐ、大切なコミュニケーションとなっていきました。


その日は8月、とても暑い日でした。


朝、自宅でシャワーと着替えを済ませた私は、
出勤までの僅かな時間を、いつものように母の顔を見に病室へ寄りました。

自分ではスプーンを握ることのできない母に代わり
今朝も氷を口に含ませます。


普段なら5~6回で満足し、「おかわり」をしなくなるはずなのに
その日は10回を越えても、まだ口を開き続けます。


だんだんと出勤時間が迫って、私は焦りました。
母の要望に答えたい気持ちと
私の状況を理解し配慮してくれている職場に、
遅刻してこれ以上迷惑を掛けられない気持ちとで、苦悩していました。


始業時間10分前、5分前…。
職場までは走れば3分の距離とはいえ
さすがにもう病室を出なければ間に合いません。

「お母さん、これでもう最後だからね?もう遅刻しちゃうから行かないと」。
そう言っても、「おかわり」は止みません。


2回ほど繰り返して、とうとう3分前。
もう行かなきゃ…。

「本っ当に、これで最後だから!もう遅刻しちゃうから!」。
それでも「おかわり」は止みませんでした。


「ごめん!!本当にもう無理!!!また昼に来るから、行くからね!じゃあね、バイバイ!!!」。
顔も見ずに、まるで言い捨てるように叫び、速足で病室を後にしました。


母が完全に意識を閉じてしまい、
寝たきりになったのは、それから数時間後のことです。


私が昼休みに病室を訪れた時には、
目も開けず声も発することなく、ましてや口を開けて「おかわり」などしないのでした。


喉が乾いていたんだろう、と思います。
なのに、私に叱られて氷も与えられず
母の絶望はいかほどだったでしょうか。


意識レベルがゼロになった母に
「お母さん、ひどい言い方してごめんね」と謝っても
ピクリとも動かず、ただ眠り続けるだけでした。


自分の親が弱っていく様、
まるで幼児のようになっていく様を傍で見るのは
娘の私には正直しんどかったです。
その気持ちが、母との最後の会話に八つ当たりとして表れたのかもしれません。


今日みたいに暑い日は
母の最期の晩餐を思い出します。


自分が、喉がカラカラに乾いて水分を口に含む時、
「自分だけ、喉を潤すんだ…」という罪悪感に囚われます。

それは6年経った今でも、拭うことなどできず
今も私の心は渇いたままです。

(オレンジ)

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「分かち合いの会」のお知らせ

◆8月10日(金) 14時~17時
 *第2金曜日の集まりは、主にお子さんを亡くされた方の集まりです。

◆8月18日(土) 17時~19時30分
 *第3土曜日の集まりは、大切な人を亡くされた若い世代(主に20代30代)の方の集まりです。

◆8月21日(火) 18時30分~20時30分
 *第3火曜日の集まりは、様々な体験の方の集まりです。

◆8月25日(土) 14時~17時
 *第4土曜日の集まりは、様々な体験の方の集まりです。

◆9月1日(土) 14時~17時
 *第1土曜日の集まりは、大切な人を自死により亡くされた方の集まりです。
 
◆会場/NPO法人生と死を考える会 事務局(東京都新宿区) JR信濃町徒歩1分
◆参加費/一般1,000円 会員500円

※会場などの詳細は、HPをご覧ください。
http://www.seitosi.org/

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2012年

7月

29日

玉祭の句から

毎年、この夏の盛りの頃になると、亡くなった人たちのことが思い出されます。

帰省シーズンやお盆休みや原爆忌などが重なっているからでしょうか。

松尾芭蕉に「数ならぬ身とな思ひそ玉祭」という句があります。

元禄七年七月十五日伊賀上野での松尾家の盂蘭盆(玉祭)のおり、寿貞という女性に捧げた句と言われています。

彼女は、芭蕉の幼馴染とも、一時は妾であったとも、諸説紛々ですが、いずれにしても縁浅からぬ女性であった寿貞が4か月前に亡くなったことを悼んでの句です。

「このお盆にあたってわたしはあなたのことを思っています。どうか、ご自分のことをつまらない身だと思わないでください」。

この句の中で「身」と「玉(魂)」という二つの語が、人間のかけがえのない「いのち」を表現していることが素敵なことだと感じます。

また「魂」のことを「玉」と言い表わして、何か、人間のいのちが、「掌中の玉」のように、この上ない宝なのだという素朴な信仰がそこにあって、わたしは感銘を受けます。

ついでながら、芭蕉はこの年の十月十二日に旅先の大阪で亡くなりました。(たばた)

2012年

7月

22日

バーベキュー

梅雨明けと共に暑い日が続き、九州のほうでの水の災害大変でした。

 

心からのお見舞い申しあげます。

 

梅雨明け前の暑い日がうそのように、涼しい日が続きそろそろ夏本番がやってくるようですね。

 

夏に先駆けてバーベキューをいたしました。

バーベキュー

お分かりですか?金串に刺さずにローズマリーの枝に刺しました。
 
すばらしいアイディア!
 
お野菜は大田区の下丸子産の有機野菜、じゃが芋は蒸してあります。

バーベキュー

バジルソースが美味しくて、きれいで、良かったです。
 
スーパーで売っているバジル3パック(洗わないで葉のみ使用)パセリ1束(洗って葉のみ)
 
オリーブオイル(1瓶ー300cc~500cc)塩ふたつまみ、全部をミキサーにかける。
 
お試しください。
 
枝を使ったことから、ローズマリー石鹸、ローズマリーティーなどの話題が多く出ました。
 
ローズマリーの花言葉は「おもいで」「かわらぬ愛」だそうです。
 
薬草としての歴史も古く、血液の循環をよくする働きや利尿効果、鎮静効果、強壮効果など期待できると
 
されているようです。
 
枝数本を洗って、布袋に入れ、浴槽に入れて楽しんだりしています。
 
さわやかな香りです。
 
                         朱鷺色

2012年

7月

12日

あれから

「人は一人でいると悪い事しか考えないかもしれないけれど、やっぱり周りに人がいっぱいいれば、感謝の気持ちも生まれるし、考え方も前向きに、心もすすんでいく。」


と誰かが、テレビで言っていたのを
死別まもなかった当時の私は、必死に書き留めたのを思い出しました。


当時は、自分の死別の辛さや悲しさを友人、知人にも言えませんでした。


話したところで、大切な人との死別を経験した事のない人には、分かってはもらえない、というあきらめの気持ちと、本当は分かって欲しい、というジレンマで、心の中はズタズタ、ボロボロでした。


慰めの言葉にかえって傷ついて、人間関係がギクシャクする事もしばしば。


そんな私が、藁をも掴む思いで、辿り着いたのが、ここの「分かち合いの会」でした。


大切な人を喪って、悲しいのは、自分一人ではないのだという安心感。


この安心して話せる場所、という事が何よりもありがたかった。


あれから時は過ぎて、抱えきれない荷物を降ろせる場所を知ったおかげで、抱えきれない荷物も、抱えられるようにかたちを変え、今ではあれだけ重たく苦しかった心が、少しだけ軽くなった事に感謝です。


(赤)

2012年

7月

05日

銭湯の記憶

最近、趣味のフラダンス教室の帰りに仲間で銭湯に入りに行くようになりました。

銭湯は、私にとって懐かしい場所です。幼い時の実家は内風呂がなく、家族みんなで銭湯に通うのが日課でした。

 

亡き父は、よくイタズラが好きで、銭湯から出てくる私を隅で隠れて待ち伏せし、
変質者並みに!驚かせてみせたり。ある時期は、私の枕元に寝入ってからぬいぐるみを置き続け、心霊現象を知らんぷりで装ってみたり。お茶目というかなんというか、おかしな人でした。

 

銭湯は家族の象徴だったことを、突然、思い出し、すごく切なくて懐かしくて悲しくて嬉しくて、走馬灯のように記憶が蘇りました。そして、その後の記憶も。

 

守ってもらいたい、経済的にも、精神的にも、親に庇護されている同年代を馬鹿にすることで、孤独であることを隠そうとしていたのかもしれません。大人には絶対わかるわけないと、実は裏腹に愛情に心底飢えていました。今でも、大人になんかわかるか! って思ってますけど。

 

私は、突然に父を亡くし10年以上そのことを他人に話すことが全く出来ずに育ちました。思い出したくても、もう、思い出せないように、前しか見ないように記憶を圧し殺し、生きてきてしまったのです。亡き父の面影や話し方をリアルに思い出せるのは、こういった今回の銭湯のような無意識の起爆剤です。それはまるで、隠された地雷のようでもあり、隠されたお宝のようでもあるのです。

 

でも、運動後の銭湯はこの上なく気持ち良くてはまり過ぎです。
当面辞められそうにありません。。

ピンク

 

 

「分かち合いの会」のお知らせ

 

◆7月7日(土) 14時~17時
 *第1土曜日の集まりは、大切な人を自死により亡くされた方の集まりです。

 

◆7月13日(金) 14時~17時
 *第2金曜日の集まりは、主にお子さんを亡くされた方の集まりです。

 

◆7月17日(火) 18時30分~20時30分
*第3火曜日の集まりは、様々な体験の方の集まりです。

 

◆7月21日(土) 17時~19時30分
 *第3土曜日の集まりは、大切な人を亡くされた若い世代(主に20代30代)の方の集まりです。

 

◆7月28日(土) 14時~17時
 *第4土曜日の集まりは、様々な体験の方の集まりです。

 

◆会場/NPO法人生と死を考える会 事務局(東京都新宿区) JR信濃町徒歩1分
◆参加費/一般1,000円 会員500円

※会場などの詳細は、HPをご覧ください。

http://www.seitosi.org/

2012年

7月

01日

空間、時間

「我々は別々の道を歩く訳ではない。
  ただ同じ道を先に行くか、後を行くか、それだけのことだと考えればいい。

 

(中略)

 

  人は生き、必ず死ぬ。
  私が少々せっかちで、少しばかり早く歩き過ぎただけだ。
  君は後からゆっくり来てくれればいい」。

 

 

処刑の決まった主人公が、遺される女性へ口にするこの台詞は
私が大好きな小説のものです


死別を、空間軸ではなく時間軸で捉えたとしたら
私ももうすぐ、せっかちなあの人に逢えるのでしょうか。


私はずいぶんと薄情で鈍感にできているようで
慌ただしい日常では、もう涙が出ることもなくなってきました。


忘れた訳ではない。
忘れられる訳などないのに。


大切な人が存在しない毎日はそれなりに忙しく、
死別から立ち直っていく私は、だんだんと亡き人を想わなくなっていきます。

 

私も大概せっかちですから
後からゆっくり…などという生き方はできそうにありません。


けれど、亡き人を偲ぶ間もなく生き急いで何になるのでしょう。


死別の苦しみから抜け出そうとする自分を時に呪いたくなるほど
「立ち直る」ことの難しさを痛感する日々です。


(オレンジ)

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「分かち合いの会」のお知らせ

◆7月7日(土) 14時~17時
 *第1土曜日の集まりは、大切な人を自死により亡くされた方の集まりです。


◆7月13日(金) 14時~17時
 *第2金曜日の集まりは、主にお子さんを亡くされた方の集まりです。

◆7月17日(火) 18時30分~20時30分

 *第3火曜日の集まりは、様々な体験の方の集まりです。


◆7月21日(土) 17時~19時30分
 *第3土曜日の集まりは、大切な人を亡くされた若い世代(主に20代30代)の方の集まりです。

◆7月28日(土) 14時~17時
 *第4土曜日の集まりは、様々な体験の方の集まりです。

◆会場/NPO法人生と死を考える会 事務局(東京都新宿区) JR信濃町徒歩1分
◆参加費/一般1,000円 会員500円

※会場などの詳細は、HPをご覧ください。
http://www.seitosi.org/

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2012年

6月

24日

いのちの授業

梅雨に雨が降るのは当たり前ですが、最近では激しい雨が多いように思います。

あちこちでの豪雨の災害が伝えらて、心配をするだけでは申し訳ない気持ちです。

杉並区立松渓中学校  道徳授業地区公開講座

「かけがえのない生命の尊さを学ぶ」

-大切な人の生と死からー

と言うことを「死を考える会」に講演の依頼がありました。

子を亡くした親、親を亡くした子、二人の話を受けて理事長。

3人がそれぞれの立場の話をしました。

全校生徒の真摯に聴いてくださることに感謝!

せっかくのこのような機会に、心に届く話であったでしょうかと不安な気持ちがありました。

3人の話が終わってから、生徒会長さんのお礼の言葉の中で

「一日一日を、後悔しないように生きることはできると思う」と言って頂いたのです。

聞き終わって、まとめる時間があったわけでもなく、話を聞きながら考えて、

それをきちんと表現できると言うことに感嘆しました。

哲学の芽は14歳ぐらいからとの理事長の話とピッタリ!

政界や原発へのあり方に戸惑うことばかりのいま、このような中学生の存在は

明るい光明のように思いました。

                       朱鷺色

2012年

6月

12日

ペット(家族)の死が教えてくれたこと

関東も梅雨入りをして不安定な天気が続きますね・・。
みなさんはいかがお過ごしでしょうか?緑レンジャーは、風邪を引いてしまいました。

僕は以前、「ペット(家族)とのお別れ」という記事を書きました。

当然、僕も大切な人を亡くしていますが、その記事では、人だけではなく、ペットも人間と同じように大事な家族であるということを書きました。

僕は、「プレーリードック(リスを大きくしたような動物)」を飼っていました。

このプレーリードックは、今は輸入禁止となっていて、プレーリードックがいるペットショップはかなり珍しいです。
だから、自分がペットショップに行く時はいつも、「プレーリードックがいるわけないか・・・」と思いながらも、無意識に探してしまったり。
 
そして、昨年の4月に今住んでいる所に引っ越したのですが、家の近くにペットショップがありました。
例のごとくふと立ち寄ったところ、まさに「プレーリードック」がいました!!
そこは大きいお店ではないので完全にノーマークでした。
 
それから、元気がほしいなと思った時に「プレーリードックくん」を見に行き、短時間ですが、何度か抱っこさせてもらいました。

抱っこさせてもらってその温もりを感じる度に、僕が飼っていた子を抱っこした時の温もりを感じ、その子との記憶が一気に戻ります。

そして近所のペットショップを出る時は、元気をもらうと同時に、僕が以前に飼っていた子が今はいないことを無性に感じ、どこか寂しさを感じてしまうのも事実です・・・。

普通に考えたら、ペットの方が先に亡くなるかと思います。
そして、以前は「何でペットとして飼う動物はもっと長生きしないんだろう」と思ったことがあります。

でも、今は逆にペットの寿命が数年であることが自然なのかなとも思ったりします。

もし飼い主の方が先に亡くなったら、遺された子達はその後どうやって生きていくというのだろうか・・・。
そう考えると、やはり人間には、最期までその子を看取る責任があるのではないかと思うのです。

僕はまた「プレーリードック」を飼うかもしれません。でもそれは、以前、飼っていた子の姿を重ねて飼うのではありません。

今度もし家族になる「プレーリードックくん」がいたとしたなら、その子は以前飼っていた子とは違う、この世でたった1人の子です。

だからこそ「この子もまた自分より先に亡くなるんだろう」と思うのではなく、

限られた一緒にいれる一度きりの時間を悔いのないよう・・・そして楽しい思い出をたくさん作りたいと思います

(緑)

2012年

5月

31日

亡くなってからもできること

大切な人と死に別れて
「もうその人のためにできることは、何もないのだ……」
そう思っていました。


平均寿命よりもうんと若くして逝ったその人との時間が
まさかこんなにも短いものだったとは。

甘い甘い私には、到底思い及ばなかったのです。


もっと一緒に過ごしたかった。
教えてもらいたいこともまだまだたくさんあった。
相談にだって乗ってもらいたかった。
買い物だって旅行だってしたかった。

何より、話を、気持ちを丁寧に聴いてあげれば良かった。
逃げずにきちんと向き合えば良かった。


亡くなってしばらくは
「もう私には何もできない…」
本当にそう思っていました。


でも亡くなって半年ほどして、考えが変わりました。
きっかけは一つの箸置きです。


我が家の宗派では、お仏壇にご飯をお供えします。
本来ならご飯だけでお箸は必要ないようですが
「お箸がないと食べられないから」という理由で
お仏壇にはずっとお箸と箸置きが置いてあります。


当初は家にあった箸置きを使っていましたが
たまには変化を付けようと思い
亡くなって半年も過ぎる頃に、雑貨屋さんで箸置きを買い求めました。


かわいい傘の形。
色は、亡くなった人が大好きだった黄色。
値段は105円でした。


久し振りにいい買い物ができた気がして、少し嬉しかったです。
お仏壇に並べて、ほうっと気持ちが落ち着いたことを覚えています。


以来、かわいい箸置きを見掛けると買い求めるようになりました。

今は500円ほどで、色々な箸置きがたくさん売っています。
「あ、これなら喜びそう」と、本人の反応を思い浮かべながら選びます。


お仏壇のご飯やお茶を替えたり、お花を供えたり
そういった決まりきった行為ではない
本来なら置く必要のない箸置きだからこそ
「大切な人のために選んで買ったんだ」と実感し
気持ちを落ち着けることができたように思います。


箸置きが一つ二つと増えていく度に
私の中で「できること」も増えていきました。


亡くなった人が好きだったテレビ番組は
放映時間にチャンネルを合わせ、テレビをお仏壇に向けます。

好きだった歌手のCDが発売になれば購入し
お仏壇に向かって再生します。

好きだった作家の新刊が出れば買い求め
一晩お供えした後は、自分でも読んでみます。


すべては自己満足に過ぎないのでしょうが
自分を責めてばかりいた頃に比べると
ずいぶんと気持ちは楽になりました。


箸置きを集め始め、5年が経ちました。
種類もずいぶんと増え、今では日替わりで交換しています。

私はこれからもずっと
決まったテレビ番組にチャンネルを合わせるのでしょう。
好きだった歌手のCDを聴き続け
決まった作家の本は読み続けるのでしょう。


亡くなった人のために、亡くなった人の代わりに行うそれらの行為と
その人のために買い求める箸置きだけが
自分の気持ちを伝える術のような気がして
私は今日も、箸置きを並べ替えるのです。


(オレンジ)

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「分かち合いの会」のお知らせ

◆6月2日(土) 14時~17時
 *第1土曜日の集まりは、自死遺族の方の集まりです。 

 

◆6月8日(金) 14時~17時
 *第2金曜日の集まりは、主に子どもを亡くした方の集まりです。

  

◆6月16日(土) 17時~19時30分
 *第3土曜日の集まりは、若い世代(主に20代30代)の方の集まりです。 

 

◆6月19日(火) 18時30分~20時30分

 *第3火曜日の集まりは、さまざまな体験の方の集まりです。 

 

◆6月23日(土) 14時~17時
 *第4土曜日の集まりは、さまざまな体験の方の集まりです。

 

◆会場/NPO法人生と死を考える会 事務局(東京都新宿区) JR信濃町徒歩1分
◆参加費/一般1,000円 会員500円

※会場などの詳細は、HPをご覧ください。
http://www.seitosi.org/

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